この映画の肝は、ウィル・スミスの哀愁だと思う。つまり、51歳のスナイパー、ヘンリーの憂愁だ。そして、彼のクローンであるジュニアの憂愁。
表情がいい。
二人の哀愁は、老いた者と若者との違いはあるが、人間としての清らかさへの希求という共通点を持っている。
アクションやCGなど撮影技術の素晴らしさの前にこの憂愁があり、これこそが監督の描きたかったものだと思う。それは、他の命を犠牲にしなければ生きてゆけない生命の切なさだ。
「引き金を引く瞬間にだけ安らぎを得る」存在だったヘンリーは、自分が危険に陥れた無垢な少女に象徴される命のきらめきに覚醒する。彼は人間へと回帰するのだ。
それはスナイパーとしては劣化だが、人間としては深化だ。この深化があればこそ、人間として生きる意味があるのだ。
上田五千石の俳句、「万緑や死は一弾を以て足る」を思い出す。
これとは別に、自分のクローンとなら親友になれるかも、などと考えた、友達の少ないマルでした。