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『赤毛のアン』のモンゴメリがプリンスエドワード島じゃない場所を舞台に描いたロマンス。そして中年にさしかかった惨めな女の自立と再生の物語。
あらすじ
ヴァランシー・スターリングは29歳の「オールドミス」。たぶん現代語で言うなら「負け組」って言葉になるだろう。
細いまっすぐな髪、血色の悪い顔、平たい胸、低い身長、輝きの無い褐色の目。美しくも醜くもない。そんな外見の彼女の心はいつもひどく惨めだ。一度も結婚していないということではなく、一度も男から望まれたことがないという事実が彼女を惨めにさせている。
そして悲惨な毎日。彼女が母フレデリック夫人と従姉妹のスティックルズの三人で住んでいる家は美しい所がちっともなく、殊に彼女の部屋は醜く住み心地が悪い。その部屋で許されているのは眠ることと着替えをすることだけ。高圧的な母のもとで彼女はくしゃみすら遠慮しなくてならない生活を強いられている。
親戚縁者たちも彼女を馬鹿にしている。支配する者、マウントしてくる者たちはいるが彼女を愛し大切にしてくれる人間はいない。叔父や叔母たちのパワハラ、セクハラ、モラハラが雨あられと彼女に振りかかってくる。名前すら、大嫌いな呼び方の「ドス」と呼ばれているのだ。
ヴァランシーは好きな本を自由に読むことが許されていない。小説ではないということでぎりぎり許されているジョン・フォスターの本だけが楽しみだ。動物や昆虫など自然を描いたその本を、ヴァランシーは暗記するほど読み込んでいる。次の本を図書館に借りに行くことさえ、許可を得るのが至難のことなのだ。
彼女のもう一つの楽しみは空想の中で「青い城」に住むこと。美しいその城の主である彼女はあらゆる美しいものに取り巻かれ、大切にされ、ロマンスもふんだんに味わうのだ。
彼女の生活に転機が訪れ、彼女が自分の「青い城」を見つけるために出発するきっかけとなったのは雨だった。
雨のため彼女の大嫌いな「ピクニック」が中止になった。ヴァランシーはしばらく前から心臓に痛みを感じることがあった。彼女は一族のかかりつけの医師ではなくトレント医師の診察を受けに行く。トレント医師の息子の事故の知らせがあり、ヴァランシーはその日診察の結果を聞くことができなかった。
後日届いたトレント医師の手紙は衝撃的だった。ヴァランシーの命はあと半年だと言うのだ。
その知らせがヴァランシーを覚醒させる。
このままの人生がいつまでも続くのだと思っていた。「いつもおびえていて逆らうこともできず言いなりになっていた」ヴァランシー。しかし余命いくばくもないと知った時、もう何も怖いものはなくなった。恐れから自由になったのだ。
これまで、あたしはずっと、他人を喜ばせようとして失敗したわ。でもこれからは、自分を喜ばせることにしよう。もう二度と、見せかけのふりはすまい。
今までやりたいと思っていたことを全部やるのは無理かもしれないけれど、やりたくないことは、もう一切しないわ。
おかあさんがふくれるなら、好きなだけふくれていればいいわ。
ヴァランシーの住む町には「がなりやアベル」と呼ばれる便利屋の老人がいた。便利屋は彼一人しかいず、町の人たちは飲んだくれで口の悪いアベルに辟易しつつも家のメンテなどは彼に頼るしかない。ヴァランシーの母も玄関のポーチの修繕をアベルに依頼する。
作業しているアベルに話しかけるヴァランシー。母はそんな男と話をするなと家の中へ入るよう命じた。しかし、「一度やってしまったら、反抗することなどいともたやすいこと」なのだ。ヴァランシーはがなりやアベルと話し込む。
アベルには父親のわからない子供を産み、その子を病気で死なせてしまったシシイという娘がいる。かつては美しかったが不運な娘だった。今シシイは病身で死を待つばかりだ。それなのに家政婦を追い出してしまったためシシイのめんどうをみてくれる者がいないとアベルは話した。町の者たちはみなシシイはふしだらな女だと言い関心を持とうとすらしないのだ。
ヴァランシーは自分がシシイのめんどうをみようと決意する。家政婦としてアベルの家に住みこむことにしたのだ。
それからのヴァランシーの行動はスターリング一族を震え上がらせ、憤慨させることばかりだった。しかしヴァランシーはもう一歩も退かなかった。
ヴァランシーは幼いころ自分の作った泥饅頭を友達に奪われたことがある。彼女の泥饅頭は美人で人気者の従姉妹オリーブの泥饅頭を大きなものにするために使われてしまったのだ。彼女は「死ぬ前に一つでいいから、小さくても、自分の泥まんじゅうをこしらえたい」と決心した。
アベルの家で家事とシシイの看病をし、生き生きと働く毎日は楽しかった。自分が他人の役に立っていると実感できたし、誰に遠慮もなく自由にふるまうことができた。
アベルは粗暴だが悪い男ではなかった。アベルの友人のバーニイ・スネイスはアベル以上に評判の悪い男で、犯罪者ではないかとすら噂されていた。ミスタウィス湖の中の島に一人住まいをしているバーニイ・スネイスは実は親切で、温かい心を持っている。シシイのために買い物をしたり花を持ってきてやったりする男だった。
シシイを看取った後ヴァランシーは母の家に帰るよりはとバーニイ・スネイスと共に暮らすことにする。ここからまたヴァランシーの人生は急展開を見せるのだ。
感想
怯えと怖れに捉われていたヴァランシーが自分のために生きようと決意する姿は感動的だ。
斉藤一人さんの「他人の機嫌を取らず自分の機嫌をとれ」という教えにまさに該当する学びを、死を目前にして得たのだ。
これって、でも、余命宣告を受けなくてもありうることだ。いつ死ぬかわからないという点では全員がヴァランシーと同じなのだ。
だから私たちは今すぐにでもヴァランシーと同じ決心をするべきだ。他人の機嫌を取るのを止めて、自分を幸せにすることに専念する。自分の泥饅頭を作る。
ここまではいいのだが、そしてヴァランシーが自由と幸せを手に入れる結末もいいと思うが、大団円の内容が「金と名声を持つ男との結婚」というシンデレラ的内容。これってどうよ? と思ってしまう。せっかく家政婦という仕事で経済的に自立したのに、こうなるか。
そう言えばレドモンド大学を卒業して文学士になったアン・シャーリーも結局教師を止めて医師の妻になったんだっけ。自分も専業主婦だしべつに悪いとは思わないが、なんだか残念ではある。
時代なのだと思う。