トマト丸 北へ!

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ひとりさんからの学び「波動を下げてはいけない」=良いお知らせと悪いお知らせがある

とんでもない間違いをしてしまうことがある。

大失敗。

ものすごく後悔すること、みんなあると思う。だが後悔しつつも、なぜ自分がそんなことをしてしまったのかさっぱりわからないというのが私だ。

だんどりをつけてあり、その通りにすれば何の問題もないという場面。そのとき何者かが私にささやく。「こっちのやり方のほうがよくなくない? いいかもよ」「今がチャンス!」悪魔のささやきだ。

冷静に考えればそんな馬鹿なこととわかるのに、ふっと出来心でやってしまう。

何十年も前だが、ファックスの誤送信というのをやってしまったことがある。いつもくどいくらい確認してから「送信」を押す。それなのにその時に限り、「さっさと済ませようぜ!」「いちいち心配すんなよ」と誰かが耳元でささやき、えいっと押してしまった。その後すぐハッとして確認。(遅いってば!)

誤送信。わりと個人的な情報を関係ない人に送ってしまった。

このささやきは、いわゆる悪霊ではないか。

波動が下がっていると悪霊が寄ってくるそうだ。波動が下がっていたのでは。

実際その仕事が嫌になってきていた。でも頑張らねばとカラ元気を出してせかせか仕事をこなしていたのだ。自分がへこたれていることに気づいていなかった。

波動が上がっている時は直感で行動してOKだけれど、波動が下がっているときに直感で行動すると飛んでもないことになる。

波動が下がっているときに苦しい気持でがんばってはだめなのだ。まず一回休んで、クリアな気分になってからでも遅くない。その、うっと落ちている自覚がないとき、悪魔のささやきがやってくる。このままではだめだ。なんとかしなければという不安に突き動かされて何かやってしまう。「がんばろう」とエネルギーを振り絞る。

魔が差すってこういうことかもしれない。だまされたり、いじわるをしてしまったり、悪事に手を染めてしまうときって、そんなときではないだろうか。このままではだめだ。こうするしかない。って。

子どもに対する言動を考えるとそのことがはっきりする。

子どもが心配になり、自由にさせておくのが怖くなる。ごく幼いときに突然危ない方へ走り出したりするときは素早い対応が必要だが、そうでない普段の場合だ。何もないのに不安になる。いろいろ禁じたり、今まで自分が身に付けたタブーみたいなものを押し付けてしまったり。お前が心配なんだよという思いをぶつけてしまったり。

子どもに対してできるのは、できるだけ楽しく自分が明るい気分でいることと、信じることだ。安心の波動を出していることが大切だ。ほかにできることは無い。

これもひとりさん(斎藤一人さん)の教えだけれど、ほんとうに腑に落ちることだ。

でもって自分自身に対してもそうなのだと思う。楽しく明るい気分でいて、安心している。自分を信じる。そういう状態で初めてちゃんと行動できる。そういうときに思いついたことはけっこううまく行く。よいお知らせが来るのだ。

暗い気分で不安で自信がない状態で、なにかせねばと悩み苦しみながら行動するとさらなる苦難がやってくる。悪いお知らせが来る。悪魔のささやきが降りてくるのはそういうときだ。

なんてことを考えた。