トマト丸 北へ!

本と映画、日々の雑感、そしてすべての気の弱い人たちへのエールを

『変な家』をミステリとは思わず買って結局はまった

『変な家』 雨穴著 飛鳥新社

いろいろな変な家の実際の間取り集だと思い、購入した。

物件を見て歩いたり間取り図を見たりがだいすき。

ほどなくミステリー小説だとわかったが、面白く読み進んでしまう。ミステリも大好きだし。

間取り図から読み解く居住者の異常性。謎は謎を呼び、やがておどろおどろしい伝奇的世界へ連れていかれる。

おもしろかったがしかし、この本に描かれている「左手供養」の因習は腹立たしい。

こいつら、何のために生きているんだ!

ぬるぬるとした不潔な板の間を連想する。もうなんか、焼き払うしかないという感じだ。この因習に捉われている人々のかたくなで鈍重なまでに融通の利かない性質が、あまりにもリアルに描かれているのだ。

一見平凡な生活の中に根付いている異常性、人間の弱さなどが読者に迫ってくる。

酷薄で支配的な女が平凡な家族の中に乗り込んできて、始めはやさしくたよりになる存在として食い込んで行き、しだいに成員を支配するようになる。お互いに暴力をふるわせ、最後には殺し合いをさせる。そんな事件が以前あったと思う。それを思い出した。

「左手供養」というネーミングがすごい。まがまがしさがあふれている。

間取りからすべてを読み取って行くという筋立にも引き込まれた。

おもしろかったな!

 

感想『「また、必ず会おう」と誰もが言った』に青春を思う。

 

見栄っ張りで嘘つきな少年和也は何気についてしまった嘘をほんとにするため、東京ディズニーランドへの日帰りぼっち旅行を敢行する。

友人に自分を大人に見せようとかっこつけた嘘をつく発端や母親をごまかして旅費をせしめたりする、ちまちまとした嘘に笑える。そのバカさ加減がいかにも青春って感じ。

そう言えば私、親に嘘をついたことなかったなと思うと淋しい。

ディズニーランドで友達に見せるための「証拠」の写真を撮ったり、孤独を噛みしめたり、こんなアホな行動、惨めったらしさにも婆さんは青春を感じて羨ましいのである。

学生時代にアホできなかった分婆さんになってから飛ぼうとしても、絵にならない。少年が大人たちに手を差し伸べられるのはわかるが、婆さんが若い子にやっかいをかけるのはちょっと。やさしく元気にがんばっている人たちに迷惑はかけたくない。

いよいよ追い詰められる和也。空港へ向かうバスが渋滞に巻き込まれ、格安チケットの飛行機の出発に間に合わなかったのだ。しだいに人が少なくなる夜の空港で途方に暮れる和也。チケットは払い戻されない。所持金もわずか。知り合いもいない。親には嘘をついて出て来ているから頼れない。

ここから和也の冒険が始まる。

いいな。

もうこんな旅はできないだろうが、旅がしたくなる物語だ。

最初に助けてもらった空港の売店のおばさんの教え、「どこへ行ってもお世話になった人の役に立つことをする」という知恵には感心した。掃除、片付け、その他相手の役に立つことをやる。さっと体を動かす。

これは幸せに生きるための賢い知恵だ。ちょっとした勇気が必要だけれど。

最後の方に書かれていた「人が真剣に努力しようとしていると必ず周りに足を引っ張ろうとする奴が現れる」というのもほんとう。

人が楽しく努力していると、それを気に入らないで泥水をぶっかけてくる奴が現れる。それに対して自分が悪いと思って委縮したりする必要はない。そういう奴は嫌な奴なのだ。嫌な奴に負けてはいけない。

これは何かしようとする人間にとってお約束のあるある。二十年前に戻って自分に教えてあげたい。

何も大事業でなくても、人が何かを楽しそうにやってるとそういうITを持たない人は憎んでくる。今日だってカフェでコーヒーを前に俳句をひねっていたら、横の席のやはり一人カフェしているおばさんが憎らしそうにこちらを見ていた。淋しいのだと思うが、こんな人と話をしたりしたら、朝の時間がだいなしである。案の定店員さんに近くの高級マンションの住人であることをにおわせて引かれていた。

こういうのはお約束だからそこで逃げたらだめなのだ。

まあいろいろあったが、和也少年はこの二つの大切なことを「見栄っ張りの嘘をほんとにするためにでかけたが思いがけず無銭旅行になってしまった旅」から学んだ。

青春、いいな。

『魔法の習慣』(佐藤伝著)には楽しいヒントがいっぱいあった

GAKKENNの文庫本で読んだ。

書き抜いたところ

p36 いっさい「戦わない」

 実際には私の場合「戦えない」「戦っても負けてすごすごと引き下がる」のだが、表現の仕方をこれに替えようと思う。わたしはいっさい戦わない。弱虫なのではなく、ポリシー。

 世の中には下らない戦いがあふれている。たとえばスーパーの狭い通路で向こうからカートを押したおばさんが来た場合。どちらが避けるか? 今まで私はいつの間にか自分が譲っていて、譲るのはかまわないのだが、後で「負けた感」があった。向こうがちょっと会釈したりしてくれれば気持ちがいいのだが、何を勘違いしているのか知らないがこっちを一顧だにせずまるで女王のように偉そうに真中を通って行く人がいると損した気がする。

 でもこの言葉で大抵のことは解決できそうだ。「わたしは、いっさい戦わない」。

 自分のことに集中するんだ。

p43 かかわらない

 前項と重複するが、やばそうな人、めんどうくさい人とは「かかわらない」に限る。

 常識に外れた人を非難してみても、そもそも常識がないのだから通じるはずもない。下手すれば、クラクションを鳴らしたら前の車のドアが開いて拳銃を持った人が降りてくる、なんてこともあるのだ。年食ってみて分かることは、「なんとなくおかしい人」はたいていおかしい。

p49 できるだけ「地球にくっついて」力をもらう

 人はエネルギーを補給する必要がある。他人からもらおうとしてもなかなかむつかしい。エネルギー泥棒にならないためにはこっちから回す必要があるし。

 自然からエネルギーをもらう方法として「地球にできるだけくっつく」という方法、なるほど! この表現、いいな。本には裸足になって歩くと書かれていたけれど、ちょっとハードルが高いかも。

 戸外に出て歩く、木に触れる、温泉に入る、などはどうだろうか。それと海に行ったら裸足になって砂浜を歩こうと思う。

p80 「深くて長い呼吸」をする

 腹式呼吸などではなく(説明通りにやろうとすると私の場合なぜか呼吸困難になってしまう)、「がまんの限界まで息を止める」という方法。「肺の空気の総入れ替え」だそうだ。これならできそう。

 一日一回やろう。

 やってみた。……空気ってありがたい!

p82 昼寝をする

 ヒロユキ方式で、いつでもどこでもショートナップと決めた。睡眠不足はだめだ。

 耳栓とアイマスク必携。

 学生でも会社員でもない幸せ(^^♪

p102 チョコレートを忘れずに

 「デートに」とあるが、友達でも自分とデートでもいいかも。

 以前バスツアーで隣になった人から美味しいお菓子を頂いてぱっと親しくなれたことがある。身元を詮索されたりすると引くが、そのお菓子のエピソードなどから話が広がった。キャンディやボンボンでも。

p110 「いい水」をこまめに飲む

 水へのこだわりを持つ。

 気に入りの水を見つける。

p128 「スモールプレゼント」をする

 これは自分の幸せ、自分のいいことをシェアするという発想だ。

 すてきな物を見つけたら二つ買っておいて誰かにあげる。臨時収入があったら、誰かにおごる。ケーキ一個でもいいよね。幸せのおすそわけ感覚。

 私も幸運を見つけたら誰かとシェアしようと思う。それこそが幸せって気がする。

葉加瀬太郎さんのタイムトラベラーなど

お題「この曲、心がささくれてる時に聴くと良いよ!」

葉加瀬さんのCDをかけるとよい。ドライブしながらだとなお良い。

パーッとテンションが上がる。疾走感はんぱない。

葉加瀬さんを聴きながら館山道や九十九里波乗り道路を走ると、幸福感に満たされてくる。

仕事が辛いときも、週末は房総を走ろうと思うとがんばれるよ。

ひとりさんからの学び「出会う人は鏡」になっとく💮

以前から本で読んだりテープを聴いたりして知ってはいたことだけれど、昨日ふっとこれが腑に落ちた。これで嫌な人に遭わなくなる気がする。

周囲にいる人はみな自分の鏡である。嫌な所がある場合、自分にも同じようなところがある。同じ課題を持っているひとが近くに生まれるし、そういう人と出会う。嫌な奴ばかりというとき、実は自分にふさわしい人々が周りに集まっているだけ。

こないだまで、嫌な奴がいると、自分よりだめな人間だと見下げていた。そういう人に遭ってしまった自分はかわいそうであり、同じ部分が自分にもあるなんてとても納得できないでいた。いや私はあんなバカなことはしませんよ。あんな思いやりのない人間じゃないですよ。

ひとりさんは、「苛められている人も自分が強い立場になったら同じことをしてしまう。前世で同じようなことをやっていた」という意味のことを言っておられた。

それに対してすごく反発していたのだが、何度も同じテープを聴いているうちに少しずつその言葉が入ってきた気がする。

何度も書いてきたが、私はとても虐められるタイプで、どこへ行ってもガキ大将タイプの人に反抗して目立ち、苛められる。弱いくせにオトナシクしていられないという損な奴なのだ。声に出さないまでも批判的な気持ちが表情に出てしまう。で、叩かれる。

腹が立ってもやり返せなかった。

年を取って世間も狭くなったので、そう嫌なことをする人は周りにいなくなった。たまに遭遇しても逃げれるようになったし。

ところが記憶というものがある。悲しかった経験、悔しい思いをして泣き寝入りしてしまったことなどが繰り返し思い出され、その度に反撃できずやられるままだった自分が悔しくて苦しむ。憎しみもわいてくる。

済んだことで非常にに嫌な思いをする。

楽しいことをするとか、忙しくするとか、いろいろ工夫してみるが、「思い出」からは逃げられないのだった。

「出会う人は鏡」に、そうか! と。

記憶の中のことであっても、思い出すということはその人にまた会ってるのと同じだ。

富士山でも麓の方でうろうろしているときはたくさんの人に出会う。玉石混交だ。しかし上に上るにしたがってだんだん人が少なくなる。「散歩のついでにちょっと来ましたって奴はいなくなる」のだ。

嫌な奴に出会うってことは自分も麓のあたりでうろうろしてるってことなのか。嫌な奴に遭わないためには自分が上に行けばいいのか。

それが思い出であっても、何年もたってまだ思い出してるってことは当時と同じ場所に自分がいるってことなんだ。そういう嫌な人達と自分は同じレベルだってこと。

高速道路で自分の車がスイスイ行ってるとき、私はうれしい。でも、対向車線が渋滞していたりすると嬉しさが倍増する自分がいる。そういうとこ、がある。

強い立場になることはあまりないのでわからないけれど、もし権力を握ってしまった場合、ほんとにパワーを振るわないで済むのか、じぶん? あまりひどいことはしないとは思うが、ちょっといい気になってしまうかもしれない。

やり返すとかじゃなくて、嫌な奴がいないところへ行く。自分が進化すればいいんだ。

思い出して悔しいときは、自分もまだまだだな! と考える。リベンジとかリベンジがもう不可能だとか不毛なことを考えるより、自分が上に行くことを考えようと思う。

 

『わが家は祇園の拝み屋さん』2(望月麻衣著)

小春は中学三年生。受験を控えナーバスになっている級友たちにいつの間にか妬まれていた。そんなとき小春の他人の思いを読み取るという能力が覚醒する。信じていた友達の本心に気づいて傷つき、引きこもりになってしまった小春は、京都に住む祖母と叔父の営む「さくら庵」に寄宿することになる。そこで遠縁の賀茂澪人と出会った小春は眉目秀麗で謎めいた澪人にときめくのだった。ここまでが1の内容。

2では小春と澪人との関係に新展開が。

小春はいったん東京へ帰り、改めて両親の許可を得て京都で進学することに。小春の父と祖母との確執についても明らかになる。

他人の考えていることが分かってしまうという小春の霊感をコントロールすべく澪人は小春にレッスンをする。ドキドキの小春だが、澪人は妹のような存在としか思っていないようだ。そこには澪人の秘密の苦しみがあった。

だが自分を捨てて賀茂家と世の中のために尽くそうとして苦しんできた澪人の人生に転機が訪れる。それは小春との関係性にも変化をもたらすのかもしれないものだった。

また、小春も進路を考える過程において「何をして生きていくのか」目標を定める。

 

和菓子 金魚羊羹、レモン寒天、和風マカロン、和風スイートポテト、栗茶巾、

    抹茶チョコレート、チョコ黒豆、星の砂糖菓子

お祓い 塔の幽霊、堀川通の妖

お言葉 若宮「人が生きていくのに大切なことは、世のため人のため、何より自分のた

     めに生きることです」「あなたは大人になることを諦め、いつ死んでも良い

     と自分の心と体をすべてないがしろにし粗末に扱いすぎました」

    若宮「神は常に人を介したり、近くにいる動物を介したり、本やテレビや雑誌

     を介したりと、何かを介してメッセージを伝え、人を助けようとしていま

     す」

    若宮「一人ひとりが三位一体を大事にしていただければ必ず良い方向へ進んで

     いきますから。たった一人で何ができるだろうと思うかもしれませんが、

     人は一人ひとり宇宙を持っていて、つながっています。決して小さな存在

     ではありませんよ」

 

この最後の若宮のことばに心を打たれた。

世の中を良くするために必要なのは、天下国家を論じたりボランティアに励むより、自分が明るい気持でいて他の人たち、世の中、そして何より自分自身を大切に生きることが基本になるのではないだろうか。

ひとりの人間が明るく他人に親切に生きるということは、けっして小さなことではないのだ。

ちなみに「若宮」は1で小春が助けた龍の子ども。実は恐ろしい力を持つ黒龍だ。この龍神と澪人、小春は前世にまたがる深い縁で結ばれていることが次第に分かってくる。

 

 

 

 

空が明るい。まだ風はつめたいけれど。

今週のお題「小さい春みつけた」

今の写真ではないが、埼玉は航空公園の蠟梅。12月からが花期と言うが私にとっては早春の花だ。

風はつめたいが、空がどことなく明るい季節。厚いコートに身を包んでサクサク歩く楽しさ。

もうすぐ春だよってときがいちばん春っぽい気がする。