トマト丸 北へ!

本と映画、日々の雑感、そしてすべての気の弱い人たちへのエールを

和田秀樹『70歳が老化の分かれ道』詩想社新書

60歳以上はひとからげになってる本が多い中で「70歳」という年齢に着目して述べられているところが斬新な気がした。

今は老後が長いし、老年の間での格差も大きい。デビ夫人のような女性がいる反面私のように年相応、順調に老いの坂を下っている人も存在する。これはもう若いころからの心がけがものを言うのだから今となっては現状を受け入れて行こうという方針でいたが、この本は70代はまだひとがんばりできると書かれており、希望が持てる気がした。

正月はそれなりに事多く、わくわくと日を過ごした。5日から毎日のルーティンを始めるつもりでいたがなんとなくぼーっとしてしまい、気が付いたら今日は6日。出かける予定のある日だ。朝5時に目が覚めて、今日はNHK俳句の締切日。朝のうちに投句を済ませるつもりでいたが、なんとなく雑用に追われて気が付いたら出かける時間だ。しかたなく適当な一句をでっち上げて投句。なんとも後味の悪いことになった。あたしの人生の終わりもこんなものかもという気がしてくる。

いやしかし。そう諦めたものでもないのかもしれないと、この本を読んでそう思えた。

この本を読んで70代は自由に動ける最後の10年間なのかも、と思い至った。

年は関係ないと思いたいが、そうでもないと実感する今日この頃である。

70代はまだ老いと戦える時期、80代以降は老いを受け入れる時期だとある。それは悲しいことではなく、豊かなことだと思いたい。

「70代に身に付ける習慣」が大切だとあり、毎日のルーティンを決めている私のやり方が是認されたような気がした。

和田先生の考え方の特徴は、70代はまだ現役時代の延長でいられる期間となったというアクティブ思考だ。そして確実に老いを認めざるを得ない80代へ向かって良い習慣をつけていく時期でもあるという。

老人にとっていちばん恐ろしいのは「意欲の低下」と「栄養が足りないこと」だとある。働き方は考えるとしても「引退などしてはいけない」「運転免許は返納してはいけない」という主張には目からウロコだ。

「肉を食べる」「陽の光を浴びる」「アウトプット型の勉強スタイル」「ゆるい運動」「おいしいものを食べる」「人付き合いは続けるが、嫌な人と付き合うのはもうやめる」など常々思っていたことで、やはりこれがいいのだと意を強くした。

また、「医者との付き合い方」の項にも目を開かれた。お医者さんの言うことを鵜呑みにするのではなく、自分の身体のことは自分で考え、決めるべきだ。自分の身体をいちばんよく知っているのも、一番大切に思っているのも、自分自身をおいて他はないのだ。言われるがままに薬を飲む危険性を忘れないようにしようと思う。

母は「利尿」成分の入った薬を処方されて夜中に1~2時間おきにトイレに通っていた。症状を言っても薬は同じように処方され続けた。1時間おきに不自由な体でトイレに行くなんて、まともな生活ではない。医師を変えたらと言っても「かかりつけだから」「近所だから」と変えなかった。

「介護を生きがいにしない」も強く心に響いた。

自分独りで「がんばって」いると自分の時間がなくなるだけでなく、自分のキャパ以上の仕事になって介護をする相手への対応も荒くなる危険性がある。第三者の手を上手に借りて自分の生活を充実させつつ介護するのが良いのだ。

「老後」がすごく長くなっている。介護する期間もいつまで続くかわからない。昔と違って、何十年も続く可能性があるのだ。そのつもりでいよう。自分のすべてをなげうっていると心のどこかで介護の終わりを待ち望むようになってしまっても不思議ではない。それではお互いに不幸だ。

できるだけ長く自立して生活できるよう連れ合いも自分もお互いに鍛えていく。何もかも「してあげる」ことがいいことではない。そして必要になったら、ためらわずに第三者の手を借りよう。

この本はすごく参考になった。