加藤登紀子さんのエッセイ、気持ちよく読める。この人、好きだな。年一回の俳人、なんて逆に素敵。
肩の力を抜いて俳句を楽しんでいいんだなと思う。「目で見ること」「音を聴くこと」に留意するという姿勢、よく言われることだけれどこの人の文章で読むと心に届く。
夏井いつき先生「凡人からの脱出」
季語が発想を広げる。
ひとつの季語と向き合う時間が、自分でも忘れていた記憶に辿り着かせてくれるかもしれません。あなただけの体験に辿り着けたら、そこに、オリジナリティやリアリティが生まれる可能性があるのです。
季語はそれに捉われるものじゃなくて発想を広げるアイテムでもあるんだ。目から鱗。
「ひとつの季語と向き合う時間」、それを持つために俳句をやっているのかも。
池田澄子選「巻頭名句鑑賞」
私の散歩道は細い川に添っていて両岸は処によって小さな林だったり広場だったりもするので歩いている鳥を見ます。
「歩いている鳥」。鳥は飛ぶものだけれど、そう言えば歩いているときも。
実はもうじき引っ越したら私も川沿いに散歩できるみたいなのだ。なんか、楽しみになってきた。
囀をはづれて鳥や地を歩く 岡田一実
記憶に残る俳句
冬空へ出てはつきりと蚊のかたち 岸本尚毅
一弁の疵つき開く辛夷かな 高野素十
東大寺うらの木の芽を見て歩く 飴山實
3月の表紙の絵
3月は「啓蟄」の字が虫で作ってある。四層になった土の中に虫たちがいる。五味太郎さんの色調はあたたかくおしゃれだ。虫たちは飄然と、くるりんと、土の中にいる。そろそろ出っか? いやでも土の中も気持ちいいんだよね。