トマト丸 北へ!

本と映画、日々の雑感、そしてすべての気の弱い人たちへのエールを

夏井いつき『世界一わかりやすい 俳句の授業』PHP

行き詰まりかけている私の俳句人生を再スタートするために、困ったときは関連の本を20冊読むというポリシーに従って読み始めた俳句本20冊の1冊目。

「はじめに」にこうあった。

P3 俳句には、人を救う力がある。

  起こってしまったことは仕方ない。転んでしまった事実は変わらない。それなら、  

 その体験をひとまず受け入れて俳句にしてみよう。そう考えると、また前に進んでい

 けるのです。

 表現するってこういうことなんだと改めて思った。そしてまた、それが人を追い詰めるなんて間違ってると強く思う。そうでしょう。終わりに夏井先生は「楽しくなければ俳句じゃない」とも書いておられる。そうだよね!と意を強くした。楽しくやろう!

 この本から得た気づき

① 自分の俳号を考えよう

  「コケても傷つかないように」と「話の種になる」との二つの理由から初心者こそ

 俳号をつけたほうがいいそう。俳句を作って来た年月だけから言うとビギナーとは言えない私だけれど、これからは俳句で気楽に遊ぶつもりだから俳号をつけることにした。

 俳句で遊ぼうと決めるのは、実は覚悟がいる。なんとなく作っていると、点が欲しい特選が欲しいでどんどんいじましくなっていくのが俳句人生だ。初心のうちは「始めたばかりなので」とか言って気楽にしていられるが、どの世界でもそうだと思うがだんだんと後輩が増えてくると苦しくなってくる。昨日始めた人がびっくりするような句を作ってくるのだ。こっちは一通り型も覚え、手持ちの感動もひととおり出し尽くして伸びしろがない。「何年やってらっしゃるんですか」とか無神経に訊いてくる初心者は恐れを知らないからキュッと人の心をつかむフレーズが湧いてきたりする。(私もそういう無神経な初心者だったのだが)ほんと、続けるということは大変なことだと思い知る今日このごろ。

 ここで俳句に対するスタンスが試される。どういう気持ちで句作していくか。楽しくおしゃべりしたり、句会後の飲み会・吟行など課外活動が楽しくて、というのもありだが、あたしはそれでは不足に感じる。身の程知らずかもしれないが、作ることと向き合いたい欲がある。その欲といっこうに進展の無い自分の俳句と、折り合いをつけるのが大変なのだ。

 「俳句を遊ぶ」まで行きたいが、とりあえず「俳句で遊ぶ」と決める。毎回傷つく心にメンタム(古いな!)塗って、まじめに、でも楽しんで作ることを続けるのだ。

 で、その一歩目として夏井先生の指導に従って俳号を考えた。不思議。それだけでも少し楽しくなったかも。

② 一物仕立てで類想句を避けるには、季語と向き合う中で「観察力・根気・描写力」を極めること

 17音という短い詩形で作るのは、「常に類想類句とのたたかい」だとある。実は正面切ってこの類想類句について考えたことがなかったというのは、いかに私が勉強不足かと言うこと。同じような句がありますと指摘されても、だってあたしもこう感じたんだもんと開き直っていた私。何年たってもこれでは講師があきれるのも当然である。

③ 尻から俳句、十二音日記

  具体的な作句のとっかかり。これならへこみ切って俳句がひとつも出来ないときで

 も、なんとか取り掛かれそうなやり方だ。親切でクールな説明。夏井先生って、すご

 くいい先生だったんだろうなと思う。

  季語にとらわれて季語の説明になってしまいがちな私には、まず季語の入らないフ

 レーズを考えるというやり方が役に立ちそうだ。

④ 句のチェックは ⑴季語の「本意」をつかむ ⑵意味の重複を確認する

 ⑶五感を複数入れる

  これがすごく参考になった。推敲するときどこを見るのか。こういうことだったん

 だな!

⑤一物仕立てのための観察ワークシート

  「まず、情報収集自体をたのしむ」とある。「五感プラス第六感(連想力)」を

 駆使するのだ。ほんとに目からウロコである。

 ①~⑤の気づきをもとに、真新しい俳号でまた歩き始めよう。俳句と言う楽しみを

手放すまい。

 最後に夏井先生からの三つのアドバイス

 ⑴俳句の型を増やす

 ⑵作った句を、どんどん外に発表する

 ⑶できるだけ毎日俳句を作る