トマト丸 北へ!

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『珈琲いかがでしょう』第2話を観て 「あれ」でなく「それ」を思った

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わたしの青山はスタバにいる


『珈琲いかがでしょう』テレビ東京系 月曜午後11時~

第2話 「キラキラ珈琲」 「だめになった珈琲」

録画しておいたものをやっと観た。すごく楽しみにしていたものだ。

なぜって中村倫也がいいから。穏やかな声がいい。でもって優しそうなまなざし。しかし青山は人を殺しているらしい。そういう黒い謎を暗示する底知れない感じも漂う。それらのブレンドが絶妙なのだ。

青山は移動販売車で「たこ珈琲」という珈琲屋を営んでいる。一か所に長居はせず、街から街村から村へと漂うように移動して、訪れる客の誰にでも最高においしい珈琲を提供する。彼は無口で、自分のことは「珈琲屋です」と名乗るだけ。どうも誰かに追われているらしい。

客は彼の淹れる珈琲に満たされ、自分のことを語り始める。彼はけっして批判や非難はせず、じっと話を聴くだけだ。そしてぽつりぽつりと春の静かな雨だれのような感想を口にする。青山の言葉は客に沁みる。そして客は自分の中にある答えに気づくのだ。

さて「キラキラ珈琲」。ミカン畑に囲まれた村に住む少女唯は「東京で何者かになりたい」と思っている。彼女がオーディションに行くためにこっそりと乗り込んだのは青山の移動販売車だった。しぶる青山だったが無理くり東京まで同乗し、あこがれの街へ。礼という画家志望の若い女性の部屋に転がり込むがそこには変な男がおり、あわやという展開に。

青山が唯に淹れてやったピンクの珈琲がすてきだった。唯のようなチンケな女の子に飲ませるにはもったいないような綺麗なキラキラトッピング。しかし青山は相手がどんな人間でも分け隔てなく最高の珈琲を淹れるのだ。そこが彼のいちばん素敵なところだ。

唯のようなタイプの女の子はあまり好きじゃない。何も出来ないくせに自己主張だけは一人前以上で、存在するだけで甘え放題する権利を持っているかのようにふるまう。ほんと、うんと不幸な目に会えばいいのにと思ってしまう。それは自分がそんな女の子になりたかったけれど、なれなかったからかも知れない。唯のようにふるまっても自分を受け入れさせるというのは、「あれ」を持っているからだ。私には「あれ」がなかった。

青山は礼の部屋から唯を救い出す。そのときの唯の動きの鈍さも嫌だった。危険なことになってるのにぶるぶる震えるばかりで抵抗しようとせず、青山が助けに来てもその場にすくみあがって動こうとしない。叫ぶとか逃げるとかしろよ! でも青山は分け隔てしない。唯の父親に頼まれたからでもあるが、暴漢二人を静かに取り押さえ、唯を連れ出す。けっして声を荒げることなく、派手な立ち回りもなく、穏やかな中にも凄みを感じさせる立ち居振る舞いが、いい。

でも唯の「何者かになりたい」という願望はよく分かる。男の子にうつつを抜かすよりずっとクールだ。どうやら唯は「あれ」を持っているらしい。

お代わりの「だめになった珈琲」は、「あれ」を持っていない女、礼のストーリーだ。画家志望の礼はいつしか自分に「あれ=才能」がないことに気づき絶望していた。すさんだ生活を送る礼は転がり込んだ唯をひどい目に合わせようとした。唯が忘れた携帯を取りに再び礼の部屋を訪れた青山は携帯を探す間に古いエスプレッソマシンを見つける。エスプレッソマシンをまた稼働するように手入れする青山に礼は自分のことを話し始めた。

「青山です」「珈琲屋です」と簡潔に名乗るところが、とてもいい。そこだけ何度も再生して観たいくらい。そして唯にひどいことをしようとした礼に対しても淡々とした応対を崩さないのである。肝が据わっているから出来ることだ。

礼は「そっち側に行きたいけれど行けない」「『あれ』を持たない」女。上京したてのころには夢を持ち、努力もしていた。しかし厳しい現実が彼女の望みを絶つのだ。

「夢はかなう」とよく言われるが、子供にそんなことを言っちゃいけないと思う。夢がかなう人もいるけれど、叶わない人、かなってもそれがなんだか思っていたのと違っちゃう人のほうがずっとずっと多いだろう。夢はかなわない。かなわない現実を人は生きて行かなくちゃいけない。

「あれ=才能」もよく分かる。才能の差はいかんともし難いところがある。あるところまでは行けて、「自分イケてるかも」と期待してもその上には行けない、ということがある。なまじ少し「出来るやつ」だったからこそその挫折はきびしい。もうそんなこと大人はよく分かってるのに、子供に「夢はかなう」とか言うの、やめようよ。だまされて挫折の苦さを味わった私は強くそう思う。「夢は(たいてい)かなわない」。かなわなくても生き続けなければならない。そのときどう生きるかが大切なのだ。

青山に話を聴いてもらい、礼はその答えを自分の中に見つけた。部屋の隅で埃を被っていたパレットを取り出す礼。「あれ」はなくとも「それ=IT=打ち込むもの」はあった。そういうことだと思う。