トマト丸 北へ!

本と映画、日々の雑感、そしてすべての気の弱い人たちへのエールを

スタバに居たポップな女の子に癒された

行列のスタバ。私の前に並んでいた母子の女の子がポップだった。(「珈琲いかがでしょうか」の影響でポップという言葉が大好きになった)

5歳か6歳か、そのくらい。長い髪を結んで、頭の右側にオレンジや黄色のカラフルな髪飾りをつけて、明るい若葉の色のワンピース。おまけに風船を2個持ってる。 目が合ったので微笑むと、にっこり笑ってくれた。めっちゃ可愛い! めっちゃ癒される。

こんなことで人はうんと幸せを感じるのだ。

この子に銀河系の星の数ほど良いことがありますように!

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スタバ朝活は私の小さな旅ー「ソロ活女子のススメ」に思う

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午前7時台のスタバは、まだほとんど客がいない。窓際のカウンターテーブルに1人、12人掛けの大きなテーブルの隅に1人。いくつかある小さなテーブルにはまだ誰も坐っていない。そんな感じ。騒がしい物音を立てないスタッフの人たちはカウンターに近づくとひっそりと現れる。この感じがいいんだよね。

外が見える席に座って作りたての暖かい飲み物をすすると、一日が始まるんだという気分になってくる。窓の外を見知らぬ人々が通り過ぎる。私はひとりで坐っている。誰も私を知らないし、私もその人たちを知らない。みんな、どこへ行くのだろう。50センチも離れていないのに目も合わさず、どこから来てどこへ行くのか、知らない。たぶんもう二度と会うことはない。

この感じはほとんど旅だ。どの旅でも私はこういう時間を持つし、そのために旅立つのでもある。自分を取り戻す時間だ。

「ソロ活女子のススメ」で五月女恵が上司の黒田彩子に「ソロ活をするようになってから余裕ができてきたように見える」と言われていたけれど、分かる気がする。

昔、お互いにすごく思い合える友達がいた。毎日のように会い、話し、一緒にいろいろなことをした。その友達とは気を遣うことなく自然に一緒にいることができた。

そのころ、私はその友達以外の知り合いにも好かれていたように思う。心が満たされて、余裕があったからだ。

事情があってその友達と会えなくなってからもしばらくはその状態が続いていたが、5年、10年と経つにつれまたカリカリしてきた。あの落ち着いてゆったりとした気分は消え失せた。

最近気づいたのは、ひとりの時間を過ごした後はその気分がよみがえってくるということだ。その友達とはもう会えなくても、自分自身という最良の近しい友と過ごすことが出来るからだ。

自分と向き合うことを忘れさえしなければ、孤独ではない。恵のソロ活も、私の朝活も、自分自身という最高の友達の存在を思い出し、味わうための時間だと思う。そういう時間を持てば人にやさしくする余裕も出てくるのだ。

先々週、恵はセンベロでソロ活初心者の若い女性にさりげなく助け舟を出していた。すてきな光景だった。

 

観なかった「大豆田とわ子と三人の元夫」

今週は観なかった「大豆田とわ子と三人の元夫」、見た人のレビューを読んで、やっぱり観なくて良かったと思う。

例の私の嫌いな三人の女たちが「三人の元夫」を攻撃しまくるシーンがあったようだ。さらに「大豆田とわ子の不在」についても第三者の無責任な意見を炸裂させたみたいだ。レビューの書き手は「関係のない人物にたいする第三者の関心はこの程度のものなのだろう」とそれらの発言にリアリティを感じていたようだが、なんだか、空しい。それがどうなの? こいつらが嫌な奴だってことに変わりはない。自分たちを愛してくれない三人の元夫を攻撃するのも愚かすぎる。たとえそれが「愛している」「私を愛して」の裏返しだとしても、生の気持を相手にぶつける無神経さ、甘えは最低。これって、直接ぶつけるのでなければ、ありなんだよね。この三人が元夫たちのいないところでぶち上げるのであれば、けっこうおもしろく見れる場面だと思う。しかし直接言うというのは。愚かで醜すぎるかも。また、これが夫や恋人を相手にして言うことだったら、当然と思えるかもしれない。でも、相手は他人だよね。

これほど不快感を持ってしまうのはなぜなのかと考えて、気づいた。この三人の描き方には、すごい女性蔑視が隠されている。確かにリアリティがある。女性の嫌な面愚かな面醜い面を拡大して描いているのだ。演じる人たちが芸達者なので、さらに真に迫ってしまっているのだ。この女たちが嫌というより、彼女たちの描き方が嫌なんだな。

ああ、そして、かごめが死んでしまったみたい。

これについては、言及する気にもならないくらい、切ない。夢ならば覚めてくれと思う。ほんとうなのだろうか。まだ大豆田とわ子自身が死んでしまったというほうが受け入れられる。なんでだよ!

辛すぎる。

この脚本家は私に何か恨みでもあるのかと思うくらいだ。

これまで通り録画は続けて、最終回を観てから、またこの回に戻って観るつもりだ。かごめの死がほんとうだったら、そのときその死を悼もうと思う。

ハイドロキノンを試して一週間

ハイドロキノンを使い始めて一週間が経った。

使い方は、夜洗顔ニベアをつけてからシミの部分に小指の先ほどの量を塗布する。翌朝丁寧に洗顔後普段どおりニベア椿油、日焼け止めクリーム、そして普通にお化粧する。朝はハイドロキノンをつけない。紫外線が良くないと書かれていたので。

心配していた肌荒れはなかった。たまにむずがゆく感じたり、ちくっとしたりするが、気のせいかも? という程度の感じ。

成果はまだ現れない。気持ちシミが薄くなり、黒ずんでいたシミの部分が赤みを帯びてきた気がするが、気のせいかも? という程度の変化だ。

後は生まれて初めて自分の肌をしげしげと見つめて唖然とした結果、毎晩パックをするようになった。遅まきながら「自分を大切に!習慣」を始めたわけだ。

ハイドロキノン、使い続けたらどうなるのか。ともあれチューブ一本は使い切ろうと思う。

また、ご報告します。

「道の駅やちよ」に白鳥がいた

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「道の駅やちよ」にいた白鳥

千葉県八千代市の「道の駅やちよ」で川べりを散歩しているとき、二羽の白鳥に出会った。

「道の駅やちよ」は、新川というわりと大きな川の川沿いにある。新川は、印旛沼の水を東京湾へ流すための印旛放水路の一部だ。印旛沼、新川、花見川と続き、幕張海浜公園近くの美浜大橋で東京湾に注ぐ。

この白鳥だが、印旛沼付近の田んぼの中に白鳥が集まる場所があるのでそこからやってきたのではないかと思う。いわば流れ者である。なんとなく、そんな風情がある。西部劇に出てくる悪の二人組的な。

間近に見る白鳥は思ったより大きく、柴犬の3倍くらいのでかさ。嘴が黒く汚れ、羽根もあまりきれいではない。人に慣れているのか近づいても全く逃げるそぶりを見せずゆうゆうと草の間を歩いている。おばさんが餌をやっている。係の人とかそういう感じではなく、たぶん、どこにでも出現するエサやりおばさんと思う。前の鳥がくわえているのがそれだ。うちの犬が寄って行こうとすると、「シューっ」と威嚇のような声をたてた。大きさと言い、不敵なたたずまいと言い、どう猛さを感じてしまう。早々に退散。

それにしても白鳥はもう北へ帰る時期なのではないか。いったいどうするつもりなのだろう。はるばる北へ旅するのが嫌になったのか。しかし夏になったら暑さに参るのではないかと心配だ。「だからあのとき帰ろうと言ったじゃないの!」「いや、おまえが餌に惹かれてぐずぐずしているから」とか、けんかになるのではないだろうか。

「道の駅やちよ」は野菜や花を売っている棟と、橋でつながった対岸に体験棟などがあり、レストランも併設。いつも家族連れでにぎわっている。春の新川千本桜は有名だ。白鳥も新たな名物になるのかな。

「大豆田とわ子と三人の元夫」に出てくる3人の女が嫌だ

ほんとに残念。「大豆田とわ子と三人の元夫」、面白そうだと思って見ようとしていたのに、この「三人の元夫」のそれぞれにまとわりついてる3人の女があまりにも嫌いなタイプで、見るに堪えず、とうとう途中で見るのを止めた。

かましいというか、無神経というか、自己中心的というか。でも、実はそういう特性を持つ女、嫌いじゃないはずの私なのに、もうがまんできない。何が嫌なのかと考えることすら不快だ。一番目の夫の飲食店に押しかけ、まるで合コンのように(このコロナの時代に)密着して席に着き、偉そうにしゃべりまくる。「自己紹介」のところが特に嫌で、トイレに立った。コミカルなセリフの連続なのだけれど、不快感が面白さを凌駕。あげく大豆田とわ子の家にまで押しかけたみたいだった。めっちゃ嫌。

せっかく「三人の元夫」がおもしろいのに、台無しだ。とわ子の友人のかごめも大好きで八作との間がどうなるのか興味津々なのに。それに好演の松たか子が可哀そう。大好きな女優さんだし、歌も素敵、とわ子のキャラも最高に似合ってるのに、なぜこんな嫌な女たちが同じドラマに登場するのか。ちょっと嫌だけれどどうなるか見たい、ですらなく、途中でほんとに嫌になってしまう。脚本家なのか、演出家なのか、誰のせいかは知らないが、どういう神経をしているのかと思う。

もしかしたら、この3人は、「男目線で見たおもしろ可愛い女」「なんかわがままを許してしまうタイプ」なのかも。男目線でドラマを作ってるから平気でこんな人たちを3人もそろえてしまうのかもしれないとも思う。

でももし視聴率がそれほど良くないのだとしたら、この3人の女のせいだね。「第一章の終わり」とあったけれど(それでも途中で切ってしまったのだけれど)、第二章があるならこの3人はお役御免にしてほしい。女優さんたちには何の恨みもないけれど、この3人の揃い踏みだけはもうマジでかんべん。

『絶対よくなる!』ー久々のひとりさん本にやっぱりほっこり

 

絶対、よくなる! [令和パワーアップ版] (PHP文庫)

絶対、よくなる! [令和パワーアップ版] (PHP文庫)

  • 作者:斎藤 一人
  • 発売日: 2020/12/02
  • メディア: 文庫
 

 気分が落ちそうなとき、ヘタレになってしまったときは、ひとりさん本が有効だ。

自己啓発本」を批判する人もいるけれど、気分を上げて何が悪いと思う。やっぱり勇気づけられるし、実際に生きていくうえで腑に落ちることばかりだ。時々大切なことを思い出して確認するのもいいものだ。

いちばん救われたのは巻末のQ&Aで、「新型コロナの世界的流行の意味」について問われて、「『世界が一つになって助け合いなさい』ということです。」と答えておられたところ。

もし意味があるとすれば、ほんとうにそうだと思う。このパンデミックを収束させるためには、すべての国で流行が収まる必要があるからだ。自分だけ、あるいは自分の国だけ無事なら良いということではないし、それぞれの国が世界のためにもがんばる必要があるのだから。そのことに気づいて、みんなで良くならなくちゃね、という気持ちになれればいいのにと思う。ただ弱いものや運の悪い人たちだけが犠牲になったり苦しんだりして、終わるとみんな忘れて以前と同じ快楽を追い求める生活に戻るというのでは救いが無い。

「『世界が一つになって助け合いなさい』ということです」と言ってもらえたことで気持ちが明るくなった。そうでない動きが多く見られる気もするけれど、でも、どこかにそういう気持ちが芽生えれば、きっと世界は良い方向へ向かうと思う。

 

P61 やりたいことを、自分の気が済むまでやって、眠くなったら寝るーそういうことを誰にも気づかうことなくやれる毎日が最高なんです。

P94 あなたがまず幸せにしてあげなきゃいけない人は、他の誰でもない、あなた自身です。 

   自分に都合の悪いことを考えてはダメなのです。

考えてみると、ひとりさんは、私がずっと誰かに言ってもらいたかったことをすっぱりと言ってくれている。

「好きなことばかりやってちゃだめです。大変なことになるよ」とか、「自分のことだけ考えるなんてダメ。自分よりまず他人のことを先に考える人が偉いのです。」「自分に都合よく考えているのでは進歩がないわよ」などと刷り込まれてきた。それを言う人は私を自分に都合の良い存在にしようとして言っているのだった。そういうの、はねのけるべきだったのに、真に受けてしまっていた。

怖いのは自分が惨めだと他人にやさしくする余裕がなくなってしまうことだ。都合よく利用はされても、ほんとうに良いことはできない。よく言われることだけれど、幸せな人間だけが他人を幸せにできるのだ。

ほっこりできた。この本はBOOKOFFへは持っていかない。