午前7時台のスタバは、まだほとんど客がいない。窓際のカウンターテーブルに1人、12人掛けの大きなテーブルの隅に1人。いくつかある小さなテーブルにはまだ誰も坐っていない。そんな感じ。騒がしい物音を立てないスタッフの人たちはカウンターに近づくとひっそりと現れる。この感じがいいんだよね。
外が見える席に座って作りたての暖かい飲み物をすすると、一日が始まるんだという気分になってくる。窓の外を見知らぬ人々が通り過ぎる。私はひとりで坐っている。誰も私を知らないし、私もその人たちを知らない。みんな、どこへ行くのだろう。50センチも離れていないのに目も合わさず、どこから来てどこへ行くのか、知らない。たぶんもう二度と会うことはない。
この感じはほとんど旅だ。どの旅でも私はこういう時間を持つし、そのために旅立つのでもある。自分を取り戻す時間だ。
「ソロ活女子のススメ」で五月女恵が上司の黒田彩子に「ソロ活をするようになってから余裕ができてきたように見える」と言われていたけれど、分かる気がする。
昔、お互いにすごく思い合える友達がいた。毎日のように会い、話し、一緒にいろいろなことをした。その友達とは気を遣うことなく自然に一緒にいることができた。
そのころ、私はその友達以外の知り合いにも好かれていたように思う。心が満たされて、余裕があったからだ。
事情があってその友達と会えなくなってからもしばらくはその状態が続いていたが、5年、10年と経つにつれまたカリカリしてきた。あの落ち着いてゆったりとした気分は消え失せた。
最近気づいたのは、ひとりの時間を過ごした後はその気分がよみがえってくるということだ。その友達とはもう会えなくても、自分自身という最良の近しい友と過ごすことが出来るからだ。
自分と向き合うことを忘れさえしなければ、孤独ではない。恵のソロ活も、私の朝活も、自分自身という最高の友達の存在を思い出し、味わうための時間だと思う。そういう時間を持てば人にやさしくする余裕も出てくるのだ。
先々週、恵はセンベロでソロ活初心者の若い女性にさりげなく助け舟を出していた。すてきな光景だった。