トマト丸 北へ!

本と映画、日々の雑感、そしてすべての気の弱い人たちへのエールを

「人志松本のすべらない話」(8月20日)アンミカの「誉める力」がすごい!

「プチ自慢」を言い合う場面でアンミカが「私は実はほめることが得意なんです」と話し始めた。

「なんでもかんでも良い所を見つけていかなければ生きて行けない環境にいたので」誉めることが得意になったと言う。

目の前の「白いおしぼり」を誉めてみてと言われて、

「白は200種類あるんです」

大悟さんも言っていたが、1秒でこの言葉が出てくるのがすごい。

そして、色・材質・光沢・触感・機能と立て板に水で誉めあげた最後に手元を見ると、話題のおしぼりがきれいにたたまれて手の中にあった。話しながらたたみ直したのだ。頭の回転の良さだけでなく人柄を感じさせた。

この日は、もう一人の女性ゲスト土屋アンナさんも大好きな人で、楽しい回だった。

「なんでもかんでも良い所を見つける」というのは、誰にとっても大切なことだと思う。

『アウトプット大全』という本で「簡単で最高のアウトプットトレーニング法」として「日記を書く」が挙げられていた。

「基本的にポジティブな出来事や、楽しかった出来事を中心に書きます」とある。「日常の中から『楽しい』を発見する能力が高まります」。

これこれ!

以前「嫌なこと」「嬉しかったこと」「これからのやりたいこと」の順番で書いていて、日記をつけるのが嫌になった。毎朝、まず最初に「昨日あった嫌なこと」を喚起するのはしんどい。それよりも意識してやるべきなのは、「楽しかったこと」「ポジティブなこと」をピックアップすることだ。

でももちろん、「嫌だったこと」も無視してはだめだ。無視してなかったことにしても決してなくなりはしないからだ。心の底にミリミリと溜まっていくからだ。「嫌だった」「辛かった」と表現して自分の感情を認めることがだいじ。出来ればポジティブに変換しておくともっといい。

ただ、嫌なことは、無理して探そうとまではしなくていい。

以前テレビで聞いたのだが、アンミカさんは、極貧と言っていい環境で(でも愛情はたっぷりで)育ったそうだ。そこで「いいこと」「素敵なこと」を見つけて「誉めあげる」という方法で生き延びてきたということだと思う。これは生きる上で最強の武器だ。

私も、精神的には「貧乏」だ。アンミカさんの中の少女に励まされる。彼女の極上の「誉める力」に励まされた。

 

 

宮部みゆき『おまえさん』人物評

 

 男で好きなのは源右衛門。不遇な人生をマイペースで生き抜く。

南町奉行所で与力を務める本宮家の次男に生まれた彼は養子先でうまく行かず、実家へ戻る。家事と仕事の手助けをしつつ日を送っていたが、代が替わるにつれてだんだんと居場所がなくなってきて親類縁者の家をたらいまわしの身の上となった。

不遇だけれど食べるには困らない、親類縁者が生かしてくれるというのも身の置き所のないものだろう。しかし彼は自分を生きる。

自分を裏切った妻に対して「一緒に暮らしているときは良い妻だった」と言い、女敵討ちのような不粋なことなどしない。

叶わぬ恋に絶望するおしんに対して「学問をしなさい」と言う。広い世界に目をやれということだと思う。すばらしい助言だ。「諦めろ」とか言っても、諦められるものではないのだから。

書を読み、書き物をし、横死した死体を見聞するという変わった市中探索で日を送る。何の職分も持たないが、彼の人生は充実しているように(私には)思える。

何かに挑戦するというのではない、存在そのものを生き抜くという人生もありだと、私は思うのだ。

女で好きなのは、もちろん総菜屋のお徳だ。仲の良かった夫を病で失う。苦しむ夫を全力で看取った後は、自分の腕一本で総菜屋を切り回して生きていく。まじめで情のある彼女は長屋のオピニオンリーダーだが、けっして仕切り屋ではない。あくまでもつましく、身の丈に合った生き方だ。そして実力があるから、おさん、おもん、おしん、源右衛門へも手を差し伸べることができる。美人ではないが、「いい女」なのだ。

主人公の平四郎は、以前書いたように「ひとりサイダーハウス・ルール」の世界を生きている。世間のルールと自分内ルールとの間に、ほんわりと折り合いをつけている。ほどの好さがこの男の魅力だ。この人も身の丈にあった正直な人生で、見やすいことである。

平四郎と違って信之輔は「できる男」だ。将来を嘱望されている同心である。でもまじめなので「自分ルール」を抑圧している。また、この男の問題点は不細工な顔立ちに劣等感を持っていることだ。

そのせいか、史乃、佐多枝という美しいが中身の空っぽな女たちに次々と振り回される。ま、男はみんなそうかも。美人に弱い。

特に信之輔のようにまじめで仕事熱心で善人だと、ダメな美人に溺れてしまいがち。きっと彼は一生そうだろう。将来嫁選びも器量好みで大失敗しそうだ。それでも文句も言わずに添い遂げるのだろうな。

史乃、佐多枝は私がもっとも嫌いな女。史乃は人生を棒に振るほど恋に身をやいてまだ可愛げがあるが、佐多枝さんは、いかん。

ことに町医者の村田のところへ通い始め、村田のほうも心惹かれるようになるという展開には切歯扼腕だ。こずるい女がのうのうと生きていくのか。

しかしブスがどんなに悔しがっても、佐多枝のような女はシレっと男の心をつかんでしまうのだから仕方がない。

同じように男に頼って生きていくにしても三太郎の母おきえには覚悟があるし、そしりを受けて立ってもいる。必死に生きてる感がある。

佐多枝は厚かましいだけ。でもってすべての非難を無効にする無邪気さを持つ天然でもある。無敵だ。

亡き夫が親友の新兵衛に「自分の亡き後は佐多枝を頼む」と言った。そんなことを頼む夫も頼まれる新兵衛も、変。佐多枝が美人だというだけの理由でこの依頼が成立している。

しかし普通親戚でもないのに引き取られるか? しかもそういういきさつだからと言うことでほんとの夫婦にはならず実態は茶飲み友達。どういう理屈か家のこともしないし、妻・主婦・史乃の母としての務めも果たさない。殊勝気ではあるが、実態は怠けているだけでは?

しかしそれでも、それでもですよ、一人娘の史乃が嫉妬して不良化するほどしっかりと新兵衛の愛と信頼をつかんでいるという。

どこまでもぬるぬると這って行く生き物。ほんとに腹立たしいのである。

 

中谷彰宏「1秒で刺さる書き方」から学んだ3つのこと

 

1.嫌われることを恐れない

「あいつ、あんなことを書いて」と笑われる覚悟が必要だとある。「言い切る」潔さが肝要ということだろう。

 ついつい「など」とか「と思う」とか保険を掛けてしまう私。この半端な性格をなんとかせねば。書き続けることによって、変わりたい。

2.反応の多さを求めない

 「個性を出せば出すほど、反応は減ります。その個性にシンクロする人の数は、限られているからです。」

 1.とも通じることだが、どう思われるかを想定して媚びる文章は書きたくないと私も思う。でも、炎上したりするのはやはり嫌だ。すみっこでひっそりと書いていきたい。しかし心配ないと思われるので(笑)そんなことも考えず、好きなように書こう。

 読んでほしいという気持ちは、コンテンツを増やすこと、文章を見直すことに注いでいこうと思う。 

3.「今夜書かないと、消える」と覚悟する。「直すのは後にしよう」「出だしはとりあえず書いて、最後まで書こう」「とにかく書き始めよう」

 みんな、背中を押してくれることばだ。

 後先考えず、嫌われることを恐れず、反応も気にせずにとりあえずどんどん書こう。

   

『ねこねこさんの ハンドレタリング』で手仕事再開だっ

 ひとりさんの「我慢しない生き方」の本を読んで、もっと好きなことをやろう、まだまだ好きなことにかける時間が少ないと思い、手仕事を再開することにした。すごく不器用なのだが、ちょこちょこと手を動かすことが好き。

 手書きの文字やイラストの描き方だけでなく、ノートやカードの作りたくなる提案がいっぱいだ。

各種チェック表や本日の天気&ピックアップニュース、テンションアップリストなど、ノートづくりが大好きな私は見ているだけで気分があがる。

さっそくモーニングページ(朝書く日記のようなノート)をレベルアップ(?)。項目の1文字目をレタリングしたりページごとに小さなイラストを入れたり、楽しい。

ペンテルの「筆touchサインペン」も手に入れてカラフルに。

字もイラストもほんとにへたっぴーなのだが、楽しければいいのだ。

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斎藤一人『我慢しない生き方』の3つのポイント

 

 ①「楽しいことをやろう」でエネルギをためる

  好きなことをすればエネルギーのレベルが上がる。これは実感している。逆に言うと、嫌なことを我慢しているとエネルギーのレベルが下がってくる。乳がんで亡くなられたジャーナリストの千葉敦子さんが、「人はエネルギーのレベルが高い人と低い人の2種類に分けることが可能」だと書かれていたが、好きなことに集中している人と嫌なことを我慢している人というふうにも言えると思う。

私は、好きなことをしちゃいけないと刷り込まれてきたように感じている。嫌なことを無理してやるのが「がんばる」ことなのだと。

 私の楽しいこと ⑴書くこと全般 ⑵読書 ⑶小さな手仕事 ⑷映画を観る

 まだまだいろいろある。でも、⑴⑵以外はこのごろ低調だ。今それがわかった。

②「やりたいことをやっていいの。誰にもえんりょはいらないんです」

 「引きこもりの子供がいても、親の介護をしていても」とある。胸に沁みた。

 ある意味、きびしい言葉でもある。おかれている状況を言い訳にしないということだ。好きなことを、やるべき。何があっても。

③「もし、あなたの心が傷つくようなことをされたら、相手に伝えることが必要。友達に相談しても、たとえ私に相談しても、相手に伝わらなければ問題は改善できません」

 はなゑさんの偉いところは、「相手かまわず言う」ところだ。立場がどうであっても言うべきことは言う。この姿勢が潔いし、相手に伝わる所なのだろうと思う。

 ふつう、相手を見て物を言う。この人なら多少は言ってもいいかな、とか。そして相手の顔色を見たりするのが、私である。その思いが相手をイラっとさせてしまうのかもしれない。

 ただ、「さわやかに」「かわいく」は、なかなかむつかしい。ふだんちゃんと思ったことが言えていれば、そもそも悩まない。率直に言うだけでも困難を感じるのだ。何か言うというだけでテンパってしまうのだ。

 だから私の場合、当分はかわいく言えなくていいとしよう。何か言えたというだけで良いとする。巧拙は問わないことにしよう。

 うまく言えなくても、自分で自分のために立ち上がったことに(私の場合は)意味があるのだ。それだけでも、次へのエネルギーになると思う。

 ひとりさん、はなゑさんの本を久々に読んで元気が出た。明るい気持になれる本だ。

みうらじゅん著『「ない仕事」の作り方』は、めっちゃ楽しい人生を作る本

p3 すべては「マイブーム」から始まる

 この「マイブーム」というのは、「まだ区分けされていないものに目をつけて、ひとひねりして、新しい名前をつけて、いろいろ仕掛けて、世の中に届けること」

私たちが使っていた「今のマイブームは○○」というような、今自分が凝っていることという意味とは違う。また、この「マイブーム」ということばもみうらさんが仕掛けたことばで、それまでは無かった造語なのだ。

「自分が『これは面白い!」と思ったものについて発信していく」「流行るかどうかをただ待つのではなく、こちらから仕掛けていこう」というもの。

そのための戦略が「一人電通」。電通がやってることを全部ひとりでやっちゃおうと。「クリエイティブだけでなく戦略も営業もすべて一人で行う」

これはすごく参考になった。もちろん同じことを試みるつもりはないが、楽しそう!!! また、みうらさんですらこれほどエネルギーを注いでいるのだから私がちょこっと何かしてみてなんとかなると思ってた若かりしころは、ほんとに甘かったんだな。

人を巻き込むためには「自分ありき」ではなく「自分をなくす」ほど我を忘れて夢中になって取り組んでみることだとみうらさんは書いておられる。

「趣味は突き詰めなければ意味がありません」「好きだから、くらいでは困るのです」という記述にも目からウロコだった。

目からウロコとなっても今からどうする、ということだが、でもこの本にはこれからの(残りの)人生を私が楽しく過ごすヒントが詰まっていると思う。それは三浦少年的生き方だ。少年時代のみうらさんが1人でシコシコと何かやってる姿を想像するととても可愛いし素敵だと思う。

三浦少年のように「一人編集長」や「自分塾」「一人アニメ会社」をやってみたい。

誰かと一緒でなくても、好きなことをひとりで始めていいのだ。今まで誰かに何かを証明したり、誰かに認められなければだめだとひとりで委縮していたけれど、そんなこと必要ない。夏休みの子供に戻ったつもりで過ごしていいのだと思う。もうこの年だし。ぜいたくは出来ないが食べていく心配はないので、少女トマト丸に戻っていいのだ。

めっちゃ楽しい時間で毎日が埋まりそうな予感がする。というか、このブログもその一環と言えるかも。

オリンピックが(やっと)終わった

なんか、私にはやなことばかりのオリンピックだった。

開会前のごたごた。日本の抱えている問題が次々と明るみに出たように思う。

隠ぺいされなかっただけでもいいのかもしれないとも思うが、差別の問題、権力の横暴、無策、などこれから何か改善されるのかどうかも心もとない気がする。

開会式は見たが、心打たれたシーンもあるが正直がっかりだった。これをほめている人は信用できないと思った。

もともとスポーツ観戦には興味がないので開催中もほぼ日常と同じに過ごした。それでもオリンピックは目に耳に入ってくる。

「オリンピック反対していた国民も金メダルラッシュが起こればがらりと雰囲気が変わるだろう」との予測がほぼ当たってしまう。

してやったりの口調になるのも致し方ないが、「オリンピックに反対していたくせに日本選手を応援し金メダルを喜ぶ掌返し」を冷笑する人々には「小学生か!」とげんなりした。

「オリンピック、やってよかった」とアンケートに答える人々も多い。なんだか愚民の群れを見ているような気がした。オリンピック後そのつけが「コロナの蔓延」や「経済の圧迫」などの形をとって回ってくるかもしれないと思わないのだろうか。

2か月延期されていたら私も少しは種目によっては楽しめたし、観客も入って選手も国民も楽しく世界から観客を呼ぶこともできたのではないか。

この先どうなるか分からないから、とにかく7月8月でやってしまおうということだったんじゃないかと思うのは邪推だろうか。

でも実際は最悪の時期だったのではないだろうか。

テレビをちょっとしか見ていないのに批判するのは良くないが、日本ばかりを応援しているように見えたのは僻目だろうか。遠い国々から来てくれた選手たちを応援し称えてこそのオリンピックの意義ではないのか。選手たちは国威発揚のためにがんばっているのだろうか。「日本が勝ってうれしい」という素朴な気持ちもわかるが、それだけでは空しい。

私の見た部分では、唯一松岡修三さんだけが他国の選手を称えておられたように思う。オリンピックのような大きなイベントではそれぞれの人間性があらわになるんだな。

選手へのインタビューが不快だった。「負けた」選手への容赦ない質問。

泣いている選手に、「その涙はどういう涙ですか」と尋ねているのを見た。いつかその男が失意に泣いている瞬間をねらって「それはどういう涙?」と聞いてみたいものだ。

閉会式の前のテレビでいい場面も見た。スケボーの女子選手が転んだとき、涙を浮かべて戻って来た彼女を何人かの選手が抱きしめて慰めていた。日本の選手も他国の選手も一緒だった。

次回の開催国フランスの映像は明るく、青空が目に染みた。希望のように感じた。洗練されており、パリに行ってみたくなった。

日本だってこのくらいのことできたはずなのにと思うと残念だ。

こんな感じで私のオリンピックは終わった。

後に残ったのは予定していた息子の帰省がどうなるのかという問題と、日に日に弱っているMotherにもしものことがあったとき帰れるのかという問題だ。