トマト丸 北へ!

本と映画、日々の雑感、そしてすべての気の弱い人たちへのエールを

宮部みゆき『おまえさん』人物評

 

 男で好きなのは源右衛門。不遇な人生をマイペースで生き抜く。

南町奉行所で与力を務める本宮家の次男に生まれた彼は養子先でうまく行かず、実家へ戻る。家事と仕事の手助けをしつつ日を送っていたが、代が替わるにつれてだんだんと居場所がなくなってきて親類縁者の家をたらいまわしの身の上となった。

不遇だけれど食べるには困らない、親類縁者が生かしてくれるというのも身の置き所のないものだろう。しかし彼は自分を生きる。

自分を裏切った妻に対して「一緒に暮らしているときは良い妻だった」と言い、女敵討ちのような不粋なことなどしない。

叶わぬ恋に絶望するおしんに対して「学問をしなさい」と言う。広い世界に目をやれということだと思う。すばらしい助言だ。「諦めろ」とか言っても、諦められるものではないのだから。

書を読み、書き物をし、横死した死体を見聞するという変わった市中探索で日を送る。何の職分も持たないが、彼の人生は充実しているように(私には)思える。

何かに挑戦するというのではない、存在そのものを生き抜くという人生もありだと、私は思うのだ。

女で好きなのは、もちろん総菜屋のお徳だ。仲の良かった夫を病で失う。苦しむ夫を全力で看取った後は、自分の腕一本で総菜屋を切り回して生きていく。まじめで情のある彼女は長屋のオピニオンリーダーだが、けっして仕切り屋ではない。あくまでもつましく、身の丈に合った生き方だ。そして実力があるから、おさん、おもん、おしん、源右衛門へも手を差し伸べることができる。美人ではないが、「いい女」なのだ。

主人公の平四郎は、以前書いたように「ひとりサイダーハウス・ルール」の世界を生きている。世間のルールと自分内ルールとの間に、ほんわりと折り合いをつけている。ほどの好さがこの男の魅力だ。この人も身の丈にあった正直な人生で、見やすいことである。

平四郎と違って信之輔は「できる男」だ。将来を嘱望されている同心である。でもまじめなので「自分ルール」を抑圧している。また、この男の問題点は不細工な顔立ちに劣等感を持っていることだ。

そのせいか、史乃、佐多枝という美しいが中身の空っぽな女たちに次々と振り回される。ま、男はみんなそうかも。美人に弱い。

特に信之輔のようにまじめで仕事熱心で善人だと、ダメな美人に溺れてしまいがち。きっと彼は一生そうだろう。将来嫁選びも器量好みで大失敗しそうだ。それでも文句も言わずに添い遂げるのだろうな。

史乃、佐多枝は私がもっとも嫌いな女。史乃は人生を棒に振るほど恋に身をやいてまだ可愛げがあるが、佐多枝さんは、いかん。

ことに町医者の村田のところへ通い始め、村田のほうも心惹かれるようになるという展開には切歯扼腕だ。こずるい女がのうのうと生きていくのか。

しかしブスがどんなに悔しがっても、佐多枝のような女はシレっと男の心をつかんでしまうのだから仕方がない。

同じように男に頼って生きていくにしても三太郎の母おきえには覚悟があるし、そしりを受けて立ってもいる。必死に生きてる感がある。

佐多枝は厚かましいだけ。でもってすべての非難を無効にする無邪気さを持つ天然でもある。無敵だ。

亡き夫が親友の新兵衛に「自分の亡き後は佐多枝を頼む」と言った。そんなことを頼む夫も頼まれる新兵衛も、変。佐多枝が美人だというだけの理由でこの依頼が成立している。

しかし普通親戚でもないのに引き取られるか? しかもそういういきさつだからと言うことでほんとの夫婦にはならず実態は茶飲み友達。どういう理屈か家のこともしないし、妻・主婦・史乃の母としての務めも果たさない。殊勝気ではあるが、実態は怠けているだけでは?

しかしそれでも、それでもですよ、一人娘の史乃が嫉妬して不良化するほどしっかりと新兵衛の愛と信頼をつかんでいるという。

どこまでもぬるぬると這って行く生き物。ほんとに腹立たしいのである。