母に送ろうと思って買ったのだが、内容を見て送らないことに決めた。
様々な人たちの記事が掲載されているが、あまりにもポジティブで明るく、これを今母に送っても励まされることはないのではないかと思った。
元気で前に進んでいる人たちは、楽しく読めて勇気づけられるだろう。しかし、行動の自由が制限され、気力を失いかけている母にはあまり意味がないかも知れない。
前進すること、何かを達成することだけでなく、ただ静かに「今」を味わうことに意味があるのだと思いたい。静かな午後に窓を打つ雨音を聞くこと、庭の緑を眺めること、温かい飲み物をゆっくり飲むこと、美味しいものを食べること。それらを誰かと分かち合うこと。
母の心が穏やかで満ち足りたものであるよう祈らずにはいられない。しかし今、母は電話に出ることも出来ず、私も県を跨いで帰省できない。手紙も目を通すことはないという。
コロナは人を分断する。
でも、この本、私には役に立った。
曽野綾子さんの「還暦って、今は八十歳かもしれません」という言葉。
そのくらいの気持ちでいたほうが良いかもしれない。少なくとも、どうせもう打ち止めだと思ってうかうかと何年かを過ごしてしまうよりは、志半ばで中断を余儀なくされる可能性大だとしても最後まで走り続けるほうが楽しそうだ。
佐藤愛子さんの、「悔しい悔しいと思い続けていることがいちばんよくないんですよ」。「どうしようもないことにいつまでもこだわっていると人間が小さくなりますよ」「悔しさをスパッと切り捨てると、自分に力が加わる」という言葉。
心にすっと届いた。
母をうちへ迎えるために門までの急な階段にスロープをつけたが、母は来られなくなってしまった。そのスロープで今は私が助かっている。
母の句集を作ってあげたことをきっかけに始めた俳句が、今私の楽しみになっている。
この雑誌も母のためにと買ったのだが、私を勇気づけてくれた。
気の合わない親子でけっして仲良くはなかったが、親子のつながりというものは思いのほかに奥が深いのだろう。コロナという疫病も、その深さを分断することは出来ないようだ。