トマト丸 北へ!

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ザリガニの鳴くところ  ディーリア・オーエンズ

 

ザリガニの鳴くところ

ザリガニの鳴くところ

 

 沼のほとりの湿地に住むカイアは貧乏白人の末娘だった。兄たちと両親の5人家族だったが、母が家を去り、兄弟も去り、十歳の冬には父も姿を消した。古ぼけた家でたった一人で、カイアは自立を余儀なくされたのだ。

カイアを助けてくれる者はガソリンや雑貨を売っている黒人のシャンピンとテイトという少年の2人だけだった。シャンピンは彼女が持ってきた貝を買ってくれ、妻と共に彼女を見守り続ける。テイトはカイアの友人となり、字を教えてくれる。

しかし2人には彼女の生活の面倒までみる力はなかった。貧乏白人は社会から疎外された存在だった。トラッシュとして差別される存在だったのだ。彼女は野生動物のようにぎりぎりのところで生きていく。この物語の魅力は謎解きだけでなく、サバイバルと言ってよいような生活を生き抜くカイアという少女の人物像にある。持っていたわずかなものさえ次々と剝ぎ取られていき、社会からも孤立した一人の少女が自然と共生しながら生き抜いていくのだ。

周囲の白人たちは彼女を「沼の少女」と呼び、自分たちとは異種の生き物であるかのごとく見なしていた。そんな彼女を性的に利用する者もいた。

シャンピンとその妻、そして少年テイトだけが彼女を同じ人間として接し手を差し伸べた。テイトは自分とは住む世界が違う者として一度はカイアから離れるが、何年かたって成長し、彼女を愛し受け入れる度量のある人間となって再び彼女の前に現れる。

カイアの魅力は他の人間たちから隔絶させられた生活から生じた野生児としての側面と人間らしいコミュニケーションを求める切ない思い、最後まで自分への誇りを失わない気高さから成っている。読む者は彼女に感情移入し、共感し、共に痛みを感じ、彼女の無事を祈らずにはいられない。

「サイダーハウスルール」や「フライドグリーントマト」を思わせるような作品でもある。沼の火の見櫓で見つかったチェイスの死体の謎は、カイアの人間像と深くかかわっている。通り一遍の謎解きでない心を揺さぶる作品だ。