トマト丸 北へ!

本と映画、日々の雑感、そしてすべての気の弱い人たちへのエールを

『スナーク狩り』宮部みゆき著の範子は稀代の悪人

 

 

題名に魅かれてずっと読みたいと思って楽しみにしていた作品。おもしろくておもしろくてグングン読み進む。解説の池上さんが書かれていたけれど、ほんとに映像がまざまざと浮かんでくるし、その迫力と臨場感は半端ない。

一見善人で、実際にいい人でまともなまじめな大人が人生の濁流に飲み込まれて人間でないものに変わってしまう。なんとか善の領域に踏みとどまろうとする努力が空しい戦いに終わってしまう。人の心の闇の深さ、信じていたものや日常のもろさ。そういうものが描かれている深い作品でもある。

でも、でもでもでも。宮部みゆきさんって、時々こんな女を書かれますよね。

私は範子が嫌いです。この本の中でほんとうの悪人は範子だと思う。

そもそも彼女が慶子を利用して兄に両親の愛を独占された悔しさの仕返しをしようとしなかったら、他人の名を騙った手紙で慶子に代理復讐をさせようとしなかったら、この悪意の奔流は起こらなかったのではないか。範子は慶子を利用しようとした点ではその兄とほとんど同じ悪質さじゃない? まったく、この兄にしてこの妹ありじゃない?

殺意を持って北へ向かう織口を止めようと後を追う修治に同行しようとした慶子をとどめて無理やりに自分が同行する範子。なんの役にも立たないことはわかり切っているのに、慶子が行ってこそ織口を止める可能性があったのに、自分が強引に修治にくっついていく。それは自分がしたことへの後悔と贖罪のためではなく、ただ修治という魅力ある青年に接近したかったからだ。

解説の池上冬樹さんは男だからわからないかも知れないけれど私にはわかる。範子は修治にくっつきたかっただけ。この後も混乱し、やたらに叫びまくり、小心なふるまいを見せるが、修治が彼女を振り払おうとしたときだけは急にへりくつをこね頑固になりけっして離れない。そして最後には修治が彼女を頼るように仕向けてしまった。女の弱さと強引さを次々に繰り出して男性を翻弄するタイプが、私はほんとに嫌い。

彼女は無意識にかもしれないが自分の周辺をひっかきまわす。彼女こそが慶子を混乱させ、2丁の銃で現場を混乱させ、修治の精神を混乱させ、本来なら回心できるはずの織口の行動を闇の方向からそらすことができなかった原因だと私は思う。

修治と慶子は惹かれ合っていたし、ほかにも修治に好意を抱く女性がいたのに、いつの間にか範子が間に割り込んでいた。

最後の範子から慶子にあてた手紙は勝利宣言のようだ。修治さんは私の傍にいます。もう私から離れられません。またいつかお会いしましょうね。

兄の恋人としてやさしくしてもらった慶子にたいする範子の仕打ちの仕上げがこれだ。