トマト丸 北へ!

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ひろゆきさんの記事から敷衍して考えたことーけんかしても仲直りできる

このごろ年下から学ぶことが多い。はてなブログで私が訪れるのはほとんどが(私より)若い人たちだが、目からウロコの記事ばかりだ。それに、分かりやすい。普通の状態で若い人たちと話し、いろいろ教えてもらう機会はあまりない。ブログとか広く言えばネットとか、いいものだなと思う。

ヤフーに載ってるひろゆきさんの記事(談話?)も、よく参考にしている。

先日の「けんかしても仲直りできる」という記事も良かった。要は、けんかしても仲直りできるから大丈夫ですよ、ということ。

これを読んで、コミュニケーション下手の自分がどうして出来上がったかに思い至った。

けんかはいけない、言い返したら最後だと信じて生きて来た。もめ事を起こした時点でもう罪。そして罪人は、いつでもあたしだ。

「親の言うことが聴けないような人間はだめだ」「口答えするなんてとんでもない」というのが、うちの親の主なしつけであり、ほとんど唯一の教えだった。

あたしは臆病だったから、「出て行きなさい」と言われるとたちまち屈服した。どうせ分かってもらえない、一度宣告が下されたら変える望みはない。逆らえば生きて行けない。あたしは学習し、そう思い込んだ。

でも、ほんとはそうじゃなかった。けんかや意見の相違があるのは、人間が二人以上居れば当たり前のことだ。人間関係お仕舞じゃなくて、むしろそこから人間関係が始まるのに、その最初のところであたしは立ちすくんでいたのだ。

子犬たちだって、噛んだりじゃれたりもみ合って成長していく。それは全然悪いことじゃないのだ。自然に生まれた序列に従う集団は安定している。

何をされてもやり返さない、言い返しもしない人間は、軽く見られるか薄気味悪いと思われる。得られるのは、そういうもの。良くて憐れみか同情だ。時間が経過するとこっちにも恨みつらみ不満が溜まってきて、ぎくしゃくし始める。信用されない。疎外される。いじめられる。恨みつらみが湧く。という悪循環だ。

やり返しても、というかやり返せば当然軋轢が生じる。悪いときは人間関係破綻することもあるだろう。でもそれは、やり返さなかった場合も同じで、しかもこちらは、ほぼ100%破綻する。やり返せば、良い関係が生まれる余地が残る。少なくとも自分を嫌いにはならないでいられる。

で、ひろゆきさんは、だいたいは大丈夫だと言っている。けんかになっても修復できる、と。

そうだったのか。考えてみれば、ちょっと言い返したくらいで破綻するような人間関係には必死に維持しなければならないほどのメリットはない。「コールドゲーム」みたくその集団から出されたら外は零下30度で生存不可能というような状況ならべつだが、ありがたいことに現代の日本では私のようなひきこもりも何とか生きて行ける。

たいていの場合は大丈夫だと、ひろゆきさんは心強く保証してくれるのである。いや、もしかしたら大変なことになるかも、とは思わない。何十年も生きてきて、いろいろ苦労したあたしは納得できる。

いつも気軽に本音を言っていれば、ある日爆発する恐れもなくなる。皮肉やイヤミやとげとげしい言動も自然少なくなるかも。

しばらく前から努力目標にしていることだけれど、思ったことは率直に正直に言おう。それと、人と会ったとき最低一度は目を見る。「けんか」への第一歩だ。