トマト丸 北へ!

本と映画、日々の雑感、そしてすべての気の弱い人たちへのエールを

トンイ

脚本 キム・イヨン

監督 イ・ビョンホン

今、朝食時は「セックスアンドザシティ」、夕食時は「トンイ」を観ている。キャリーたちと朝食、トンイと夕食。まるで家族のようだ。U-NEXT、けっこういい。

今全60話のうち40話くらいまでトンイを観ている。以前にも見ているのだが、けっこう見落としがあり、なかなか面白い。三度目もありそう。

スクチョン王とトンイの出会いの場面、トンイが「私を信じてくれますか」と尋ねると王は彼女の言うことを信じて協力してくれ、賊を捕まえることができた。互いに身分を明かさないままだったが、ここで信頼関係が成り立っている。自分を信じてくれたからこそ、トンイは王に心を開いたのだ。父や兄と別れた後、トンイを信じてくれた最初の男がスクチョンだったのだ。

作家の伊集院静さんが週刊誌の人生相談で、「大人の男は(人を)信じることができなければいけない」と書かれていたが、ほんとうにそうだと思う。信じるべき者さえ信じられない人は、ほんとにけち臭い。

信じるって、すごいことだと思う。そこから人間関係が始まる。

次に、宮廷に入って掌楽院の奴婢として働いていたトンイを宮女へと引き上げたオクチョン。他の女官たちの反発により窮地に陥ったトンイを、オクチョンは助けない。

「これからも同じようなことがあるでしょう。自分の力で解決するのでなければ、とうていこれからやっていけない」という意味のことを言った。

ここも好きな場面だ。このころのオクチョンはまだ自分の理想を失っておらず、気高く美しかった。

確かにオクチョンの力で窮地を脱しても意味はない。トンイ自身が跳ね除け、乗り越えてこそ未来が開けるのだ。

薄幸の王妃中殿の言葉も忘れがたい。オクチョンの陰謀のために陥れられて身分をはく奪され平民に落とされていたが、トンイの活躍で無実が晴れ、中殿に復帰できた。そのときトンイに感謝して、「私は中殿の地位にあったとき何もしなかった。何かしなければならないとさえ思わなかった。権力を得たらそれを他人のためや王室のために使うべきだったのに何もしなかった。おまえは私のようになってはならない。」というのである。

中殿は正義感のあるトンイに救われて目覚めた。誤解を謝る王へも、「私こそ王様のために何もできず申し訳ありませんでした」と謝る。

地位や権力を得たら、それを他のために使うべきだ。自分の利益のために使うのはもちろんいけないが、何もしないのもいけないのだ。何もしないことは現状維持ではなく、下降すること、隙を作ることなのだと思う。

またオクチョンやその一派が、悪事が露見して罪を追及されても、ちっとも反省しないのが面白い。数々の陰謀が明らかになってバツを受けるときも、「王様がこんな仕打ちをされるなんて!」と恨み、「私の犯した唯一の罪は王様を愛したことでした」とか言うのである。ぜんぜん悪びれない。

悪いことをする人って、こういうところがある。陰謀とまではいかなくても、人をいじめたり、権力で甘い汁を吸ったり、いろいろ悪事を働いても反省しない。罰せられても反省しないのだから、罰せられなければいじめとかしても当然だと思っているのである。情けをかけてもかえってつけ込んできたり。

スポーツや学術の才能がないのと同じように、人の痛みがわかったり、倫理感を持ったりできない人がいるのだ。誰でも間違いはするが、反省がない。わからないのだ。

100回くらい生まれ変わらなければわからないことがある。人それぞれだ。

韓流ドラマ、特に時代劇がほんとにおもしろい。心に刺さるセリフが多々あるし、メリハリが利いている。脚本とか演技とか演出とか、「立っている」。