トマト丸 北へ!

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『角川 俳句 令和7年6月号』を読む

日本の鳥たち <90> 撮影・解説 大橋弘一(野鳥写真家)

小洞燕 ショウドウツバメ    分類 スズメ目ツバメ科ショウドウツバメ属

日本での繁殖地は北海道に限られているそうだ。

「不規則な飛び方をするため撮影はなかなか難しい」とあるが、羽根を広げて飛ぶ写真に心打たれた。凛々しい!

崖にある小さな穴で子育てする写真もあったが、この穴は自然に開いているのだろうか。

年取ったせいか、この小さい鳥たちの子育てにいそしむようすに涙ぐみそうになる。

「鳥」って、あまり好きではないのだが、でも魅かれる。スズメとか数も減っているみたいだし、見る度に胸がきゅんきゅんする。

分類で、ツバメは「スズメ目」だと知り、感動した。

 

「四月馬鹿」 行方克己

ふくろふや動物園に夜の森

レタス重くかたくなしきが一つ残る

一つまたなまけもの座の春の星

 

「春なれば」 村上喜代子

揚雲雀そこより上を天といふ

沐浴のごと春光の園にをり

うららかや野に得しものを分け合へる

 

「八風」 恩田侑布子

峯雲をあて極冷のプルトップ

 

「走れば速し」 本井英

ホルスタイン走れば速し草芳し

 

生誕120年 加藤楸邨

作品論 楸邨俳句の技法 「青菜振り洗ふ」 今井聖

技巧とか方法という用語自体がそもそも楸邨は嫌いなのだ。

楸邨は句会での講評の折も先ずは自己の把握の根幹にあるものを語りながらそれをどう表現に繋げるかを作品に照らして語る。その点では話の順序や構成は毎回同じ展開を示す。

楸邨の講評が聞いてみたかった。それを思うと「結社に入ろう」と改めて思う。楸邨は故人だ。同時代に生きていると思っていた人たちも、どんどん会えなくなっていくのだから。

「講評」って、その句が評されると同時に講評者の資質と姿勢が表明されるものだと思う。以前行っていた句会に行かなくなったのは、講師の講評に納得できなかったからだった。句会の中でのバランスと自身の直感で選び、後からその理由を考えているような気がした。後付けの理屈には納得できないことが多かった。

「自己の根幹にあるもの」とは何か。

筆者は楸邨句会での出来事ー黒羽から来た同人が楸邨に当地の雉子の声を入れたテープを持参したことを記している。

雉子の声を聴いた楸邨は自身の「雉子鳴けりほとほと疲れ飯食ふに」について、この句を作った三十代の頃(妻子を伴い晩学で大学に入り直した頃)と今との雉子の声の違いを語ったそうだ。

なぜ長い年月のうちに自分の中でこういうナマの声が変貌してしまったのかをいろいろ考えてみました。

私が日々育っていくための何かは、私の中で出来上がっているバランスをどこかで崩してくれる声であって、それが無いと私は次に出られない。

雉子の声を聞くときにちゃんと聞けば良いのです。

そのとき自分が聞いた雉子の声を詠めばいい。

季語と言うのは歳時記にあるものを持ってきて使っては駄目と言うことです。どんな季語でも自分がその都度発見し体験しなければいけない。

「雉子の声」と言うと、すぐに「あああの声」と頭の中から引っ張り出して詠んでしまうへなちょこ俳人(非公式にだが自分を「俳人」と称することにしている)の背筋がぎくっとした後伸びる言葉だ。

「そのとき自分が聞いた雉子の声を詠めばいい」=このことばをこれからの拠りどころとして俳句を作りたいと思う。

さらに筆者は「楸邨は対象を見たり感じたりするときは、感じる側の主体(自分)と対象の二者が動的に存在することをまず認識するように言っている」と書いている。

「動的な自分と動的な雉子の声がその瞬間出会うのである。」「それが一回性の出会いということ」と書かれている。これはアニミズムに通じるのかなと思った。

最上川につつこみ青菜振り洗ふ      楸邨

 

楸邨の俳句

天の川わたるお多福豆一列

百代の過客しんがりに猫の子も

外套の襟たてて世に容れられず

かなしめば鵙金色の日を負ひ来

鰯雲人に告ぐべきことならず

蟇誰かものいへ声かぎり

あをきものはるかなるものいや遠き(楸邨最後の一句

 

坪内稔典 「リスボンの窓」

バッタ飛ぶ五世紀ごろの空へ飛ぶ

 

飯田龍太

紙ひとり燃ゆ忘年の山平ら

短日の胸厚き山四方に充つ

返り花咲けば小さな山のこゑ

 

成田一

産風邪やトマトの花にトマトの香

 

須賀一恵

白菜を割り純白の明日はあり

 

長谷川双魚

さくら咲くおくれて笑ふ老婆にも

雀の子一尺飛んでひとつとや

水の夢みてするすると障子あく

はたはたの跳ぶにいきさつなかりけり

 

俳句の中の虫 第60回   越冬蛹  奥本大三郎

どんな方なのか、お会いしたいくらい楽しい文章。

今回は蛹というものの不思議さ、おもしろさについて書かれている。

冬の寒い時、民家の軒先などで、渋紙で拵えた折り紙か何かのようにじっとしているのを見ると、これでもちゃんと生きているのか、と不思議に思う。

蛹というのは不思議なものである。

蛹化の経過、蛹になる場所の不思議、変態の不思議。

こんなに発達するまでに、昆虫は何億年という時間をかけたというのである。

初蝶が蛹の中に詰めてある     山田露結

筆者の言うとおり、まったくその通りで、ほんとに不思議だ。

 

池田澄子 「滾る湯」

お日様はきちんと沈み何処かに梅

滾る湯と青菜きらめき合う平和

文字小さき書物憎らし春灯

八月六日八時を過ぎし自動ドア

出掛けたら勿論帰る夏帽子

被爆体験なき偶然を被爆者忌

 

今井杏太郎

長き夜のところどころを眠りけり

 

岸原清行

日脚伸ぶ遠の朝廷(みかど)の大通り

 

月野ぽぽな

待春のグラウンドホッグ雪を嗅ぐ

囀の絡みあったりほどけたり

ぶらんこを飛び降り新しい私

※グラウンドホッグとは、アメリカ、カナダの天気占いの行事だそうだ。

 

西村麒麟

ぷかと浮く汁粉の餅や梅日和

 

黒木豊

さう言へば妻に煤逃げされてをり

 

龍田山門

初雪や翼あるもの卵より

 

大木あまり句集『山猫座』

大木家の祖は狼ぞ去年今年

船室のような病室鳥帰る

 

中村堯子句集『布目から雫』

蛇よりもあやしき艶の水餃子

四万六千日布目から雫

ふけとしこさんの解説も良かった。

 

好きな句が多すぎてたくさん引いてしまったが、今月号のベスト5は、

レタス重くかたくなしきが一つ残る   行方克己

うららかや野に得しものを分け合へる  村上喜代子

最上川につつこみ青菜振り洗ふ     加藤楸邨

八月六日八時を過ぎし自動ドア     池田澄子

ぶらんこを飛び降り新しい私      月野ぽぽな

初蝶が蛹の中に詰めてある       山田露結

あれ、六句になっちゃった。