![君が思うより人生は短い [ 千田琢哉 ] 君が思うより人生は短い [ 千田琢哉 ]](https://thumbnail.image.rakuten.co.jp/@0_mall/book/cabinet/4926/9784866674926_1_2.jpg?_ex=128x128)
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前に同じような表題の千田琢哉を読んだが、良さげなものはとことん摂取する方針なので、この本も熟読した。この本もとても心に響いた。
「一年後」「一週間後」「一日後」「一時間後」「一秒後」に人生が終わるとしたら残りの時間をどう過ごすか、という形で書かれている。
題名は忘れたがロシアの小説の中で、人生は刑場に牽かれて行くときの死刑囚と同じだと書かれいた。
繋がれていた牢獄から連れ出される。「まだ、時間はある」と思う。刑場までの荷車にまだ載せられていない。
荷車に載せられる。「まだ、時間は残されている」と思う。まだ荷車が動き出すまでには間がある。
荷車が動き出す。「まだ、だいじょうぶだ。刑場まで一時間はかかるだろう」
刑場に着く。「処刑台まで十分はかかるよな」
処刑台に着く。「まだ、司教の祈りの時間があるし」
処刑寸前だ。「ギロチン、すぐに落ちては来ないだろう」
というような内容だったと思う。(だいぶ違うかもしれないが、趣旨はこうだと思う)
その小説を思い出した。
結局、どの瞬間も「死へ向かっている」という点では同じなのだ。
「後一時間」となったとき
たとえもうⅠ時間もらえたとしても、どうせ同じことのくり返しだ。
このⅠ時間のためにあなたの人生はあったのではないか。
と書かれている。
そしてあと一時間なのか、一週間なのか、一年なのか。残り時間は誰にもわからない。
「これがあなたの人生で目覚めの最後」になるかもしれない。
死を前倒しする
死をどこか遠くにあるものではなく、すぐ目の前にあるものとして受容したいのだ。
睡眠と体の清潔
余命1440分(一日)であったとしても、私は半分を睡眠と身体を清潔に保つ時間に充てるだろう。そうすることで残りの720分がより濃厚に過ごせると思うからだ。
「自分の身体に対する敬意を具体的行動で示す=それがちゃんと生きるということ」だとある。
心も身体も、最後の1分間までいたわり、大切にする
「食欲がなければ食べない」「暴飲暴食をしない」「眠ければ眠り、眠くなければ起きている」「自分の身体に敬意を払い、見捨てない」「あなただけは、あなたの親友でいてあげよう」
何も諦めないし、最期まで自分を大切にする。
感謝、謝罪を伝える
これって、今の私にはそのキャパがない。相手が驚いたり不審がりそうな気しかしない。相手の反応が怖くてとてもできそうにない。
代替案として、「心の中で思うだけでも意味があるとする」「日頃から感謝、謝罪を都度口に出すようにする」でいいと思いたい。
勉強する
どうせ死ぬからこそ勉強するのだ
人には今より強くなりたい、賢明になりたい、という本能があり、その湧き上がる本能にしたがって生きることで、より人間らしく生きることができる。(ニーチェ)
対象はなんでもいい、とある。「大切なのは、あなたの生命が心底漲ってくる土俵で勝負することである」。
これは、「Ⅰ時間後、人生が終わるとしたら」の「墓碑銘を決める」にも関連すると思う。墓碑銘は「自分はこの使命をどのくらいがんばったか」ということ。つまり何をしたかということだ。自分は、自分の命が輝くことをどのくらいできたのか。
小説を書く
余命1年なら長編小説を書く。1か月なら短編。1週間なら掌編小説、1日なら詩を書き、一時間なら墓碑銘を決める。
「もっと自由にのびのびと物語を書けばいい」「好きなように書く」「そしてできればSNSなどで公開する」と書かれている。
「巧く書こうなどと気負わないことだ。書きたいこと、書けることを書けばいい。クライマックスだけでもいい。」「書き始めたところがスタート。力尽きたところがゴール」
好きなことを好きなように書く、ということだと思う。
どんなに虚しくても、へこたれずに生きる
どうせいつかは死ぬし、世の中は不公平だし、悪意がはびこっているし、嫌な奴がいばってるし。
この世の本質は混沌であり、言語や科学理論などの秩序はフィクションにすぎない。それでもふて腐れることなく、最期まで生き切る。
人生とは、配られたカードに対して文句を言わず、いかにして楽しむかのゲームである。
悪い頭でも勝てる方法はあるし、足が遅くても幸せにはなれる。
世間的には金持ち、美人、高学歴、などが「幸せ」の条件になってるけど、それがほんとに自分にとっての幸せなのかは、ひとによって違うと思う。他人や世間に決めてもらうことでもない。
この最後の「どんなに虚しくても、へこたれずに生きる」が私の目標になりそうだ。
どんどん老いていって、今生ではもうできないこと、トライすら不可能なことがだんだんと増えていくけれど、それでも最後までへこたれずに生きていきたい。へこたれないということは、この一日を大切に生きるということだ。