以下、内容とあまり関係の無い、私の思いです。
いつもながら、林真理子ってうまいなあと思う。
物の見方の奥深さ、対象を的確に捉える知性、表現の巧みさ。優れた作家というのはこういう人のことをいうのだろう。
彼女が見せてくれるのは、一切虚飾の無い現実だ。読者に媚びることなくここまで書き切ることができるというのが才能というものなのだ。
でも、著者の他の作品を読みたいという気分にはならない。もちろん、そう言いつつ実際にはけっこう買って読んでいるのだが。(だって面白いもん)
私が最近気づいた現実をきちんと描いている。純愛なんかなくて、不倫は惨めったらしくて、欲望と自己保存要求にまみれた人々は計算高い。世の中の大部分の人たちはこんな感じだと、実は私は最近まで気づかなかった。「小公女」「小公子」「パレアナ」の世界に住んでいたから。
隣人や知り合いの人々になんとかそういう幻想を投げかけようとして、裏切られ、自分の中で折り合いをつけようと無理をして自己否定に陥ったり、してた。外界の現実から逃避しようとして、自分と自分の目を否定してしまうという。
で、私の好きな本は、そういう幻覚のような世界にリアリティを与えてくれるものなのだった。
本や映画の世界に浸って、束の間現実を忘れる。しかしそこにはどうしても無理があるから、人間関係はいびつになってしまう。普通の人間のありままを認めることができないから、勝手に理想化した人柄とのギャップを感じると相手を嫌うようになってしまうのだ。
この『みんなの秘密』を読んでいると、人間はこんなものだろうな、と思う。
美人であっても社会的地位があっても、お金持ちでも仕様がない。そういうのは一切幸せとは関係ない。
登場人物たちは幸せじゃない。色々なものを欲しがり、あるときはそれを手に入れ、あるときは取りこぼす。手に入らなければ落ち込むが、手に入って喜んだとしても、手に入れた瞬間からその喜びはどんどん色あせていく。利害で動き、弱い者には強く出て、強い者にはへつらって、社会を生き延びていく。
好い事もたまにはし、悪いこともしてしまうが、そこには何の脈絡もないように見える。欲望にまみれ、勝っても負けても幸せにはなれない不毛な戦いの人生を生きている。彼らが「私は幸せだ」と言えるためには、自分と比較して見下すことのできる人間たちが必要だ。「負け組」がいてくれなければ「勝ち組」は存在できない。「勝ち組」がいれば、必ず「負け組」が相当数存在する。だから彼らの幸せは概ね相対的な錯覚で、底が浅い。
で、それが現実だとして、私はやっぱり、そういう人たちとは違うところで生きて行きたいと思う。みんな幸せでいられる場所がどこにもないとすれば、そういう場所を自分の周りの狭い範囲だけでも作りたいと思う。
具体的には、ものを書くことと、自分の行く先々を「来た時よりも美しく」すること、などで生きて行きたい。本の中に逃避するのでなく、自分の思いに自分の手でリアリティを与えていきたい。
読後、こんなことを考えてしまう小説だった。そして、「書き切る」というのはすごいことだと思うのだった。