トマト丸 北へ!

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映画「約束のネバーランド」ーエマの人物像が超キュート

 

 

 監督 平川雄一朗    脚本 後藤法子

エマ 浜辺美波

レイ 城桧吏

ノーマン 板垣季光人

クローネ 渡辺直美

イザベラ(ママ) 北川景子

人間と鬼が住み分けを決めたとき、鬼の世界に取り残された人間たちは同朋の一部を鬼の食用肉として提供することにより安全を確保した。子供たちが里親が見つかるのを待ちながら手厚い待遇で過ごす「孤児院」グレイス=フィールドハウスはそのための「牧場」のひとつだった。そして孤児たちが「ママ」と慕うイザベラはそこの管理責任者だったのだ。

書き割りのような建物、門。舞台のようなしゃべり方、美しい庭、美しいママと子供たち。作り物っぽい舞台装置がファンタジー的であればあるほど逆にリアリティが高まる不思議な世界だ。

現実の世界を連想させる酷い設定が二つ。

①一部の犠牲のもとに残りの人間たちの安心安全が確保されるという仕組み

 繁栄する社会のために弱者が犠牲になっている。現在の新型コロナの流行においても、日本では飲食店がスケイプゴートのようになっている気がする。安心安全な飲食・飲酒の方法を工夫するのではなく、あこぎな休業・自粛を強要している。コロナの感染が増えてもあまり影響を受けない人たちがいる反面死活問題にあえぐ人々が存在する。

②この人間の「牧場」の風景に牛や馬、鶏たちの飼育の光景を連想してしまう

 子供のように大切される場合も多いだろうし、なにより飼育者を信じ切っているのに、なついている動物たちも多いのだろうに、目的は食用だという理不尽。

 その設定の中で「それならそうでない世界を自分たちで作ればいいのよ」と言うエマの人物像が最高に魅力的だ。彼女は未来にも人間たちにもけっして絶望しない。幼い子供たちも含めて助かる方法を考えようとするし、イザベラの人間性も信じている。

 現実は酷い。人間は利己主義で理不尽だ。それを嘆くのではなく、その一部となって生き延びるのでもなく、新しい世界を創造しようとするエマの生き方は示唆に満ちている。

 いつか原作の漫画を読みたい。壮大な世界観とエマに託したメッセージに魅かれる。