このごろ私の鉄板宮部みゆき本。まだまだ未読の小説があるうれしさを噛みしめながら、『あやし』を読んだ。
マンガも、おもしろい。絵がきれいで見やすいし、イメージを裏切らないのがいい。堪能した。
ただ、「梅の雨降る」のおえんがあんまり可哀想だ。きりょうが劣るという理由でほとんど決まっていた奉公先を失った失望と落胆はよく分かる。そして、自分を出し抜いてそこへ奉公した娘を恨む気持ちも。
ちょっと思うのは、美人も大変だなということ。どこで恨みを買っているかわからない。悪気はなくても、美人と醜女では他者の取り扱いが全然違うのだ。気が弱い人には美人は務まらないかも。
でも、その残念な思いがおえんの顔を醜く変えてしまうというのは。人の心に「魔」がつけ込む。
働き者でやさしくてしっかりしている、おえん。がんばってがんばって生きてきたのに、美しくないという自分ではどうにもならない理由ではねられた。そこへ「魔」がさす。心の中にどす黒いものが生まれる。妬み、嫉み、憎しみから相手の不幸を願ってしまう。
でも、ひど過ぎないか? おえんは実際に何かしたわけではない。心の中だけのことだったのに。美貌の娘が疱瘡にかかってしまうのも哀れだけれど、おえんのせいではないのでは?
それでもおえんは自分のせいだと思い、悔やみ、苦しむ。そしておえんの顔は他人に見せられないものになってしまう。
あんまり可哀想。最後にはきれいな顔になり、善良になって死んでいくのだから良かった、とはとても思えない。おえんには幸せになってほしかった。
思うのは、この世は美人も醜い女も、みな不幸なのだということ。幸せは、なかなか手に入らない。なんの意味もなく不幸が振りかかる。この世は不条理だ。「あやし」の世界なのだ。
負けることなく、自分の生活をていねいに積み上げていくしかない。それでも、ほんちょっとした隙間から「あやし」は忍び込んでくる。ご用心、ご用心。