ただの怪奇譚ではなく、人間の心の深層をのぞかせてくれる物語だ。
ふとしたことから三島屋を訪れる客たちの話を「聴く」という仕事を始めたおちかは、
悲劇に見舞われたのは自分だけではないと気づく。しかし何人もの話を聴くうちに少しずつ奇怪な屋敷の秘密へとからめとられて行くのだった。
最後、家守なる者がおちかに投げかけることばは辛辣で、彼女をたじろがせ、「屋敷」へ取り込まれそうになる。なぜ、犠牲となった哀れな者たちより罪を犯してしまった人間のほうを向いてしまうのか。家守はおちかの痛い所をついたのだ。犠牲となった者もかわいそう、他人を取り込まずにはいられなかった怪しの者共も哀れ。その中で人は自分と境遇や気持ちの近い者に感情移入してしまうのかもしれない。気持ちは、自分でもどうしようもない。人はいつも正しく公平であれるわけではない。
しかし彼女は動揺しつつも自分を見失わなかった。次々と転がってくる蜜柑が、おちかの心にあたたかい思いを呼び覚ます。彼女を案じ、戻っておいでと呼びかける声を蜜柑が届けた。美しく、印象的な場面だ。
この世の真実は、人が人を思う気持ち、それだけなんだな。世の中のきまりや常識や絡み合う欲望を超えたところにある、あたたかな蜜柑の色の思い。それだけがあの世とこの世の境をも越えて人と人を結びつけるのだ。
松太郎と良助と、二人の男が非業の死を遂げたのは自分のせいだと思い込み心を閉ざしたおちかが、自分を許し受け入れる長い道のりを歩み始める話でもある。「聴く」という行為が自他ともに癒しをもたらす。