トマト丸 北へ!

本と映画、日々の雑感、そしてすべての気の弱い人たちへのエールを

レイチェル・カーソンの名著『センス・オブ・ワンダー』ー生きていくためにシニアにこそ必要なもの

 

 美しい挿絵の入った小さな本。これは繰り返し読む本になると直感した。

p15 わたしたちは、嵐の日も、おだやかな日も、夜も昼も、探検に出かけていきます。それは、何かを教えるためにではなく、いっしょに楽しむためなのです。

p35 この感性(センス・オブ・ワンダー)は、やがて大人になるとやってくる倦怠感と幻滅、私たちが自然という力の源泉から遠ざかること、つまらない人工的なものに夢中になることなどに対する、かわらぬ解毒剤になるのです。

 この2文に尽きる。

 幼いころから人と一緒に歩くより、ひとりの方が好きだった。近所の小さな裏山を何時間でも歩き回って、笹の茂みやニセアカシアの大木を飽きず眺めていた。道を横切るきれいな甲虫たちの後をついて行ったりもしていた。

 人と一緒が嫌なのは、心を動かされたことを知られるとバカにされるからだった。何時間も見つめているなんて許されないからだった。それに、何かを教え込もうとする人のなんと多いことか! 人と自然の間に、常に誰かが立ちふさがる。誰かと一緒にいると、そうなるのだ。

「海なんて5分見ていたら飽きるわね」

「あー、そこ、私行ったことがある」

「ホシガラスよ!」

 どんなに可愛い瞳を持っているか、どんなに美しい場所だったか、どんな気持ちで見つめていたか、みんな関係ない。

 いつしかそれに慣れて、どこへ行ってもそそくさと立ち去る人たちについて歩くようになった。人にも組織にもなじめず、何もしないでも疲れ切ってしまう生活。

 でも心の中に待ってくれているものがあったのだ。ほんとうはずっと大切に持っていなければならなかったのに隅に押しやられていたやさしい感覚。「美しいものを美しいと感じ」「新しいものや未知なものにふれたとき」感激する気持ち、「思いやり、憐れみ、賛嘆や愛情など」。生きていくために抑圧し、捨てて来たさまざまな感情。

 実はそれらは生きていくためにいちばん必要だったものなのに、粗末にしてしまっていた。

 だからこの本は子どもを育てる親たちにだけでなく、シニアにこそふさわしい本だと思う。晩年を心豊かに生きるために、後悔や苦しみや喪失感をおだやかに受け入れるために、あたしたちにこそ「センス・オブ・ワンダー」が必要なのだ。

 ひとりか、ごく少人数で森を歩こうと思う。はじめてそれを見る幼な子のように、一つの花に見入りたい。草や木の匂いを吸い込みたい。雨上がりの大気を体に沁みこませたい。あたしにはそれが必要なのだと、あらためて思った。