トマト丸 北へ!

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日本近代短編小説選 明治篇1 岩波文庫

12の短編が入っていて、なかなかの難物だった。名前だけは知っているがどんな作品があるのか知らない作家(幸田露伴など)の作品が読めてよかった。

明治という時代の熱が伝わってくる気もするし、隔世の感を抱きもする。でも、改めて読み直してみるのは良かった。

「細君」 坪内逍遥

この人も名前は有名だが、作品を読んだことはなかった。

作中の「細君」は、学問が頼みではあるが愛嬌に乏しく、自立する意欲もなく、同窓生たちへの見栄から「学者」という一点を決め手に結婚してしまう。クラスメイトたちに対して「見事立派に片付いて鼻をあかして見せようぞ」という思いを抱き「夫の人柄に好みはない。ただ中等より以上の宅へ縁づいて元の友達の顔が見たい」と。

こんなのでうまく行くわけがなく、果たして夫は妻に対して非常に冷淡だ。

「細君」ことお種は人情がないわけではなくいい人なのだが、せっかくの学問を役立てることもできず、世渡りの才覚もなく、家の中で悶々とするだけだ。薄幸の女中お園に同情の気持はありながら、自分の煩悶で胸がいっぱいで、とうとうお園を井戸に身を投げるまで追い詰めてしまうのだ。

身につまされるのは、自分にこのお種と似たところがあるからだろうか。勉強はしたが並外れた才というものはなく、世間知らずで心も弱く、男を引き付ける魅力もなく、ひとりの身過ぎをしかねる身の上。他人とは思えないのである。明治の女性に感情移入できてどうするのだと、我ながら情けない。

お種は結局離縁となる。夫は留学中に知り合っていたフランス女性と結婚しちゃうのだ。でもあたしはこれで良かったと思う。ぜんぜん書かれてはいないのだが、ここからお種は変わると思う。人は、底を打つまで自分のしんの強さがわからないのだ。

「この子」 山田美妙

男はこんなにいい加減な気持ちで結婚するのか! というのが感想だ。

舞姫」 森鴎外

「石炭をば早や積み果てつ。中東質の卓のほとりはいと静にて」で始まる名文だ。文体そのものが胸を打つ力を持っている。引き込まれる。それと、改めて読んでエリスの哀れさが身に染みた。

「こわれ指輪」 清水紫琴

親の言いつけに従って結婚したが、夫になじめない。自分の前に同じ家で暮らしていた女性がいたらしい。心通わぬ日々を過ごすうちに夫はしだいに家に帰ってこなくなる。

同級生たちが教師などになって生き生きと暮らしているのを知り、「妾のみはなど心弱くも嫁入りしてかかる憂き目を受くることかと」泣き暮らす。

最終的に離婚して、世のため人のため、少女たちが自分のようなことにならないように力を注ぎたいと決意する。

明治のころから日本の女はこんなことを考えて生きてきたのだ。あまり変わってないのかもしれないと思った。良い結婚をしたら勝ち組で、結婚できないと負け組だと、まだ思っているのだろうか。しかしこの人は、世のため人のためとか、純真な少女たちのためとかよりも、まず自分が幸せになったらどうだろうかとも思う。

「わかれ道」 樋口一葉

「お京さんゐますかと窓の外に来て、ことことと羽目を敲く音のするに」で始まる心を打つ文章だ。卒論に選んだくらい一葉に傾倒していたが、今読んでもやはりすばらしい文章、内容だと思う。24歳という若さで夭折したのに人間を観る目の確かさ、文体の流麗さには驚嘆させられる。

天涯孤独の吉はたったひとりの理解者お京を失うことになる。酷い運命に虚勢を張る吉の哀れさ切なさはどんなプロバガンダより世の無情を訴える力がある。

「お京さん後生だから此肩の手をはなしておくんなさい」という結びは悲痛だ。泣ける。

泉鏡花の怪奇な話、国木田独歩の「武蔵野」も良かった。一葉にふたたび出会えてよかった。