トマト丸 北へ!

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小野不由美『魔性の子』 十二国記 新潮文庫

めっちゃおもしろい。『魔性の子』に続く『月の影 影の海』上下を一緒に買っておいて正解だった。すぐに次が読みたくなり、読み始めると止まらないやつ。後書きで菊地秀行さんや北上次郎さんも絶賛しておられたので、我が意を得たりとうれしい。面白い本は後書きも良いのだ。

さて、『魔性の子』。これは変則のいじめの物語だ。母校に教育実習生としてやってきた広瀬は自分の指導教官の受け持ちクラスにいた高里に違和感を覚える。高里はどこか自分と同じ匂いがした。学校にもクラスにもなじめない性格、それだけではない不思議な孤独を高里はまとっていた。

クラスの子たちは直接彼をいじめるのではなく無視するのでもなく遠巻きにして、いないものとして扱っていた。嫌いというよりどこかに恐れが介在していた。

彼の生い立ちには小学生のころ一年間「神隠し」にあったという出来事があった。それ以降、彼に害をなすものには酷い報復がなされるようになった。彼自身が手を下すわけでも周囲の人間でもない、超自然的な力が働いているかのような、不思議な不運が犠牲者を見舞うのだ。

修学旅行で彼を袋叩きにした少年のひとりはフェリーから落ちて死んだ。それは事故のように見えた。彼をいじめた残りの2人も酷い運命をたどった。どの「事故」も彼とは直接にはつながらない。それでも、ぽつぽつと彼の周辺で起こる「事故」をつなげてみると彼への「加害」との因果関係がどうしても浮かび上がってくるのだ。

そういう理由で敬遠されていた高里に広瀬は興味を持った。それは、広瀬自身も高里が神隠しの間に体験した風景に似た風景を夢で見たことがあったからだ。臨死体験のようなものだったかもしれないが、とにかくどこかこの世界ではない異界を見たことがあったのだ。広瀬は学校にも家庭にも居場所をなくした高里を自宅のアパートにかくまったり、彼を見捨てた親たちに代わってめんどうをみる。感情を失ったように見えた高里もしだいに広瀬に心を開きはじめる。しかし話の展開につれて広瀬と高里はどこかがまったく違っていることが判明する。

(うーん、これって、この物語のおもしろさがまったく伝わっていない。)

ただ私が不思議なのは、高里への迫害に対する報復としてひどい目に遭う人間たちが完全な被害者として扱われることだ。彼ら自身にも世間にも、なんの反省もない。報復が過剰であることは否めないが、なされたことはいわば悪意の倍返しであり、まったく本人たちに責任がないわけでもない気がする。特に未成年の高里を容赦なく追い詰めるマスコミの人間とか、殺されるのはもちろん行き過ぎだが、ちょっとはひどい目に遭ってもいいのではと思ってしまう。

こういう感想はつまり、私が高里ではなく広瀬の同類だということなのだろう。異界から来た者でもないし、異界へ招かれる資質もない。ただのエゴのかたまり。そういう心の闇に気づかせる力がこの物語にはある。

この物語はたんなるオカルト、バイオレンスではなく、深い心の奥へ旅することのできる物語だ。気づいたら、引き込まれている。