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上橋菜穂子『香君』を読む

上橋菜穂子、待望の新作『香君』上・下 文藝春秋

ちょっと待って買った。美味しい料理には最後に箸をつけるという人種のように、なんだかすぐに買うのがもったいない、という。ひとたび手に取れば最後まで読んでしまうこと必至だ。未読の作品がゼロになってしまう。だから。

期待を上回る作品だった。オリエとアイシャという二人の女性像はとても魅力的だ。

物語の世界で「帝国」はオアレ稲という優れた品種の稲の種籾と肥料を独占することにより、周辺の国々を支配している。病気になりにくく、収穫量、味、栄養価にも優れるオアレ稲は多くの国を飢えから救った。また「香君」という生まれ変わりにより永遠の生命を保つという「神」の存在を精神的支柱とした。

「香君」は先代の香君亡き後、13歳の少女たちの中から選ばれる。ダライラマの転生を思わせる方法で各地の娘たちの中から探し出すのだ。しかし「香君」に選ばれることは祝福とは言えなかった。

オリエは、年端も行かないうちに権力の傀儡としてまるで人身御供のように連れ去られ「香君」という虚像として生きることを余儀なくされたにも関わらず、自分自身として納得の行く選択をしようとした。美しくあえかな容貌の奥に強い信念と理想を持っている。

アイシャは天からさずかった異能の持ち主であり、人の心情はおろか植物の訴えることまでその発する香りから読み解く。その鋭い感覚が言わせた「香りがうるさい」という言葉が印象的だった。すべての生き物は「生きたい」「幸せになりたい」と願う。「生きたい」は個々の生物としてだけではなく「種」を存続させたいということだ。

「生きたい」「種を継続したい」という望みに善悪はない。さまざまな生き物のそれを等しく感じてしまうアイシャの苦しみは壮絶でもある。

アイシャはしかし自分の異能に振り回されることなく一人の人間として自分の生きる道を探る。

オリエはアイシャのような超能力は持たない。その意味では偽者の「香君」だ。しかしその気高い精神、命かけても人々を救おうとする志はほんものだ。

アイシャは超能力を持って生まれた。「香君」に選ばれた娘ではないが、実質的な能力を持つ。その重みに耐えて、与えられた自分のギフトを人々の暮らしを良くするために使おうと渾身の力を振り絞る。

この光と影のような、二卵性の双子のような二人の人物像は見事だ。

この物語から得られた気づきは大きく二つ。

①オアレ稲に依存した帝国とその周辺の国々のように単一の作物に依存することの危険性。これは自然と人間のかかわり方の根幹にかかわることだと思う。

 人類の歴史を観ても、かつて狩猟型の社会が営まれていたときは、人々は全人的に優れており衣食住すべてをまかなう能力を個々人が持っていた。様々な動物や植物を利用しながらそれらと共存してきた。

 小麦、稲などの集約農業が始まってからは今までとは格段に安定した多量の収穫を得ることができるようになった。同時に貧富の差が激しくなり、人々の生活から多様性が失われていく。また、その作物の天敵が襲来したり病気に侵されたりした場合は、ひとつに頼っているだけに悲惨なことになる。

 この二つを比べてどちらが「豊かな生活」なのか、いちがいには言えないと思う。二者択一という問題でもない。

 そういう重いテーマをこの作品は持っていると思う。

②帝国は軍事力によらずオアレ稲の種籾と肥料を独占することで周辺の国々を支配している。経済力による支配と言っていいのかもしれない。しかしオアレ稲に依存させることを前提としている点でその支配は危うさを秘めている。軍事力を行使するよりましだとは思うが、問題がないわけではない。

 二番目は国と国の共存方法の課題だ。

 ①も②もめっちゃ難しい問題で皆が納得する答えなどない。それは物語の世界から実際の世界に目を向けてみても同じだ。

 複雑で困難に満ちた世界。勧善懲悪では解決できない世界だ。

 私たちはオリエやアイシャのように個々の進む道に悩みながらそれぞれが最善を尽くしていくしかないのだろう。そして最終的には時代が答えを出していくのだと思う。

 この壮大な物語はそんなことを考えさせてくれた。