トマト丸 北へ!

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「どんなときも自分を否定しない」と言い切ることについて(草薙龍瞬著『反応しない練習』を読んで)

「どんなときも自分を否定しない」という項目に惹かれてそこから読んだ。

まず自己否定のメカニズムが解明されている。

自己否定すると➡承認欲が満たされない➡怒りが湧く➡不快になる➡攻撃か逃避

自己否定は最後は攻撃か逃避かの選択へと人を追い詰める。

攻撃には他者への攻撃(キレる、怒鳴る、などの迷惑行為)と自分への攻撃(自分を責める、嫌う、生きているのが嫌になる)とがある。どちらもトラブルのもとである。

攻撃の衝動は「なんとかしないと」「このままではだめだ」という考えを生み、さらに自己否定の感情が湧いてくる。自己否定の波はさらなる怒りにつながり、さらに攻撃が始まってしまう。悪循環なのだ。

だから、この怒りをつくり出さない、どんな状況にあっても自分を否定しないことが大切なのだ。

その方法として挙げられているエクササイズが3つある。

①一歩一歩と外を歩く

②広い世界を見渡す

③「わたしはわたしを肯定する」と自分に語りかける

①は、歩けるところまでどこまでも歩いて行くことだ。五感に意識を向け、今この瞬間に世界はどう見えているか、どう感じられるかを味わう。

今確かに存在するのは「感覚」であり、苦悩はもうない。この瞬間に存在するのは「もうひとりの自分」であり「もうひとつの人生」だ。

②「広い世界を見渡す」と、そこには別の世界があり、いろいろな人生がある。

自己否定に執着しているとその一点だけが大きく見えるのは自然なことだ。その一点が人生のすべてに見えてくる。

執着から一歩離れて世界を見渡してみれば、その「否定的判断」はもう存在しない。

③「わたしはわたしを肯定する」と、シンプルにただ肯定する言葉を自分かける。このことに理屈や理由はいらない。

以前から思っていたが、仏教には非常に実用的な側面が大きいと思う。哲学はわからないが、こうすればこうなるという原因と結果のつながりは明白でなっとくできる。理論が正しくても実際に行ってみて良い結果を生まなければ意味はない。理論や哲学は諸説あるのがあたりまえだし、よりどころにするにはあまりに不安定だ。

ここにある仏教の教えは、こうすれば楽になりますよ、というだけのことだ。やみくもに信じるというのではなく、人間の心の働きがこうなっているから、こうしよう、というシンプルな実証できる教え。

外を歩く、外の世界を観る、自分に語りかける。すぐできて効果のある処方箋だ。