トマト丸 北へ!

本と映画、日々の雑感、そしてすべての気の弱い人たちへのエールを

樺沢紫苑『インプット大全』 サンクチュアリ出版

『アウトプット大全』が示唆に富んでいたので、インプットの方も読んでみた。インプット3にアウトプット7くらいの割合が理想とあり、生活が楽しくなった。それまで特別な才能のある人だけがアウトプットを許されると思い込み、アウトプット全般にどこか腰が引けていたのだが、アウトプットしたほうがいいのだと断言されていてすごく気がラクになった。それをさらに強化してくれるのがこの『インプット大全』。

この本に書かれていることだが、「アウトプット前提のインプット」でなければあまり意味がないのだ。アウトプットすると思えばインプットにも力が入る。

書かれていたように3つの気づきと3つの「今日から始めるTODO」を書いておくことにする。

3つの気づき

① p92 24 楽に聞く Relax  and  Listen 「受け止める」のではなく「受け流す」

ストレスを受け止めるのではなく、のれんのように「受け流す」という「のれんの法則」は、すごく参考になった。

「相手の話をやわらかく、フワッと聴くようにする。そんなやわらい空気感を、非言語的にも相手に伝えていく。そうすると、相手のストレスを受けないだけでなく、相手もフワッと癒された気持ちになるのです。」

私は余裕がなく、すぐに相手に同調して深刻になってしまったり感情的になってしまいがちなので気をつけたい。「のれんになる」というのはとてもいい方法だと思った。

② p33 AZ=アウトプット前提のインプットで行こう

「2週間で3回以上アウトプット」するとインプットの精度が飛躍的に高まるそうだ。

しかしそこまで出来ない場合でも「アウトプット前提でインプット」すればいいのだと書かれている。読んだ本についてブログにアップするつもりで「読む」、講演会の内容を後で報告するつもりで「聴く」などだ。

そういえば「吟行」なども俳句を作る前提で旅や散策をするからものをよく見ることになるんだな。

③ p111 31観察力 常に「なぜ?」を意識する

「あれっ?」と思ったことを掘ってみるくせをつけると観察力が鍛えられるとある。

吟行に行ってもちっとも句ができない私。発見もなければ何を観察するべきかもわからず、他の人が立ち止まったところで立ち止まり、視線の先をいじましく追う。出来れば俳句手帳をカンニングしたいくらいだ。そんな風だから手垢のついた誰でも詠むような月並みな俳句しかできないのだ。

そうか、「なぜ?」「WANDER!」がだいじなんだ。とうぶん吟行もないだろうが、行けるようになったら、すべてのものに「なぜ?」をぶつけるつもりでやってみようと思った。

取り入れたTODO

① p83 移動時間のすべてをインプットに

ここに書かれていた「オーディオブック」をすぐさまインストールして使っている。

犬の散歩に一日1時間半くらいかかるので今までは音楽を聴いていたのだが、オーディオブックで書籍を聴くのもいいものだ。新しい習慣。

② p112 街歩きはテーマを決めて歩く

別のページに「下調べをしないで国内旅行をする」というのがあったが、これから下調べをしないで近場の東京を歩いてみようと思っている。今まで旅するときには予めガイドブックやネットで調べて行くことにしていた。名所を巡り、おいしいと言われる店で食事をしていた。そういう旅から脱却したい。

しかし何の当てもなくただ歩くというのもつまらない。この「テーマを決めて」というのはおもしろそうだ。

私のテーマは4つ。本屋とカフェと蕎麦屋と江戸だ。この4つについて、自分の足で歩いて何かを見つけたい。

③ p206 65歴史から学ぶ

その学び方のステップが書かれているが、一番目の「好きな時代、国、好きな人物を見つける」は面白そうだ。まずここから。私の場合江戸とニューヨークということになると思う。「江戸」は②の街歩きとも関連しそうだ。

こうやってまとめてみると、この本は人生の楽しみ方を具体的に教えてくれているのだと思った。

樺沢先生、すごい! 今度講演会かなにかを見つけて会いに行ってみようと思う。

 

tomatomaru4gou.hatenablog.com

 

 

 

 

 

「道の駅とみうら(冨浦)」が最近のお気に入り

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館山道をぐんぐん走って終点で下りてちょっと行ったところ。(地図の読めない女の説明)でも、看板もあるし、すぐわかります。

以前にも書いたけれど、店の裏手がイングリッシュガーデンのようになっていて、川もある。橋を渡って丘の上に出ると一面の菜の花畑だ。もう少ししたら桜も咲くだろう。

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お店で売っているおいしいもの。

蜂蜜。各種あってどれもおいしい。おいしい蜂蜜がひと瓶ある生活は気に入りのカフェのある大通りのように心を満たしてくれる。

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たま麩

直径7センチくらいもある大きな麩。これの優れているところは予めふやかさなくてもそのまま汁に入れてOKというところ。ふわふわでとってもおいしい。ちぎって入れる人が多いかもしれないけれど、私はそのままが好きだ。すき焼きにも。

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刻み揚げ

この商品の優れたところは常温保存できる点だ。油揚げはいちいち湯通しするのがめんどうだし、たいてい3枚くらいセットになっているので一度では使い切れない。冷蔵庫で干からびがちだ。冷凍するとおいしくないのだ。相模屋の「きざみあげ」は、そういう手間を一切省いてくれる。しかも味が染ませてある。味噌汁はもちろんのこと小松菜と一緒に炊いたり味ご飯に入れたり、無限に使いこなせる。「あ、あぶらあげを買い忘れた!」と悩むこともなくなる。

ここで飲むコーヒーもおいしい。

 

村上春樹『村上ラヂオ』 マガジンハウス

村上春樹 文

大橋歩  画

 

村上春樹のエッセイ集の中でも特に好きな一冊に入る。もう何度も読んで、本もちょっと古い感じになっている。

大橋歩さんの絵がすてき。高校生くらいのときかな、「アンアン」が創刊。田舎の女子高生は「東京」へのあこがれをこの雑誌で満たしていた。「ドンクのパン」とか、食べたかったな。

このエッセイは2000年ごろアンアンに連載されたものだそうだ。

p58「りんごの気持ち」。「サイダーハウス・ルール」、いい映画だった。このエッセイはあのころ書かれたんだ。村上さんも観ておられると思うとうれしい。酸っぱいりんごは苦手だけれど。

p86「オーバーの中の子犬」。写真に撮られることが苦手で「カメラを向けられたとたん、ほとんど反射的に顔がかちかちにこわばってしまう」という村上さん。実は私もそうなのだ。けっこう困ってしまうことが多いのだが、そんな欠点も村上さんと同じだと思うとうれしい。岸田衿子さん作詞という「こいぬはなぜあったかい」という歌の歌詞がとても好きだ。私も、いつもオーバーの中に子犬を入れて歩きたい。

高校生の頃捨て犬の飼い主が見つかるまでということで一日だけ子犬を預かったことがある。学校から制服の上着の中に子犬をしまって連れて帰った。臭かったのでスカンクタンと名付けてタオルで拭いてやった。翌日また上着の中にあたたかい子犬をしまって学校へ行った。別れるとき名前を呼ぶと、もう覚えていて私の方へ歩いてきた。

p122「あ、いけない!」。村上さんの全エッセイの中でいちばん好きかもしれない。ストックホルムでレンタカーを借りた村上さんたちはスカンディナビアン・ブルーの五月の空の下、デンマークをめざす。車はサーブ9-3だ。「マニュアル・シフトはまるでバターを温かいナイフで切るみたいに、クイックに滑らかに決まる。」そんな人生でもっとも幸福だった朝の後に続く悲劇のエピソードが(他人のことなので)笑える。

 

濱口竜介監督・脚本『ドライブ マイ カー』

DRIVE MY CAR

監督・脚本 濱口竜介

脚本 大江崇充

家福悠介 西島秀俊

渡利みさき 三浦透子

高槻耕史 岡田将生

家福音 霧島れいか

村上春樹の短編小説は難解だ。長編がわかりやすいというわけではないが、私には短編のほうがより謎に満ちているような気がする。短いから手がかりが少ない。『女のいない男たち』の6つの短編は、それぞれが独立していながらゆるいつながりを持つというか互いに他の5編の手がかりになっている。とはいえこれはこうと明解できるわけではないし、むしろ曖昧な読後感をたいせつにしたい感じだ。

映画『ドライブ マイ カー』には、濱口監督が読み解いたこの小説の世界がしぶい感じで提示されている。まぎれもなくひとつの解釈でありながら新しい謎の提示にもなっている。そういう快い作品だ。

チェホフの『ワーニャ伯父さん』を読んでいて良かった。この映画のテーマのひとつが最後のソーニャのセリフに表れている。戯曲を読んでいたのでそのあたりが理解しやすかった。ワーニャの肩を後ろから抱いて、ソーニャは「ひとのために生きていきましょう」と言う。

「そして時が来たら、神様にこう言いましょう。私たちは苦しみました。泣きました。つらかった。」でも「生き抜いた」ということだろうと思う。

妻を失い、喪失感の中広島の演劇祭で『ワーニャ伯父さん』の演出をすることになった家福は妻の浮気相手だった高槻がオーディションを受けに来たことに驚く。高槻とのやりとりや家福の車の運転手として雇われた渡利みさきとの交流の中、彼は自分自身と向き合うことになる。事件を起こした高築が去った後、混乱して考えをまとめることもできない家福はみさきの故郷、北海道の十二湖町まで車を走らせる。その車は妻との思い出の詰まった赤いサーブ。みさきは交代するという家福の申し出を断って、ひとりで運転する。

町のようすは変わり、地震で倒壊したみさきの実家は雪に埋もれていた。心に傷を持つみさきを抱きしめて、家福は言う。「生きて行かなければならない。生きて行ける」

妻の死までの家福との生活をたんねんに描く長いオープニングがあるので、この場面の家福がすごく心に沁みる。繰り返しになるが、『ワーニャ伯父さん』のテーマと重なるところでもある。

他には演出をする家福の「うまくやろうとしなくていい」という言葉が心に残った。頭の中で勝手に言葉を足して、「うまくやろうとしなくていい。ただ、生きて行けばいいんだ」と聞いていた。

高槻が家福に言ったこと、「すばらしいパートナーだった音さんと浮気をしていた音さんと、両方の音さんをそのまま愛するわけにはいかないのですか。」。この言葉も印象に残った。

どちらの音も真実の音だ。そうであるしかできなかったのだ。

この映画を観て、戯曲『ワーニャ伯父さん』の最後のソーニャのセリフを宗教的なものだと思った私の解釈は違っていたと思った。神に頼り、任せるということではなかったのだ。自分たちの人生を引き受けて、受容して、生き抜くという意味なのだと思う。やり切れない人生、今となっては何もかも遅すぎるこの人生を。

私たちは人生の負の側面も受け入れて生きていかなければならない。誰にでもある失敗、慚愧、後悔も含めて。

私は自分の人生の数々の失敗を思って後悔することが多いけれど、それが私なのだと思う。もしそこでうまくやれたとしたら、それは私ではない。どの時も私は一生懸命だったし、そうであるしかできなかったのだ。それも含めて自分を愛するべきだし、自分を愛するひとにもそうあってほしいと思う。

みさきがとても素敵。美人とは言えないがけっして醜くはない、運転がすばらしくうまい、という小説のイメージにぴったりだ。運転がうまいということにはそれ以上の意味がある。それは現実との向き合い方の問題だと思う。不幸と言える生い立ちをそのまま自分のものとして、ただ生きているみさき。淡々としたたたずまいに惹かれる。煙草の吸い方、背中をまるめた後姿。この人のことは忘れない。最後のシーンの幸せそうな顔。そばに居る犬と共にめっちゃ好きだ。

原作で黄色いサーブだったのが、この映画では赤い車になっている。この映画を観て読み返したのだが、以前読んだとき家福の妻は自殺したのだと記憶違いをしていた。どうしてそう思ってしまったのだろう。家福は記憶となった妻とどう折り合いをつけるのだろうか。さまざま謎は残る。

 

 

 

 

ドラマ「ミステリと言う勿れ」第9話  フジテレビ

昨夜の第9話もめっちゃおもしろかった。

第8話から2回連続なのだが、この前と同じく2回続いてもちっとも長いと思わない。いったん謎が解きほぐされたと思ったらまた掘り返される。その度に登場人物たちの見え方が変わってくる。

後半の整くんの「透明人間になろうとしていたんですね」というセリフに背中がぞくぞくした。するすると紐解かれて行き、今まで謎だとも思っていなかったことが謎だったのだと気づかされる。人間の怖さが沁みてくる。

ただ、美吉喜和さんが「若宮さん」という人が問い合わせますから住所を教えてあげてください、と市役所の人に頼んだ理由がわからなかった。自分で直接教えられないわけがあったのかな。

しかしそんな細部などどうでもいいくらい面白いドラマだ。その魅力を考えてみた。

①謎解きが複雑なのにわかりやすい。人物がていねいに描かれているせいか、上質の文章を読むように、ストーリーがすっと頭に入ってくる。最近伏線が回収されないドラマを時々見かけるが、正直手抜きだと思う。振るだけ振って後は知りませんよというのはつまらない。現実世界ではありがちなことなのだが、フィクションなんだから。理由が知りたいからドラマを観るのだ。

菅田将暉が可愛い。今いちばん注目している。NHK大河の義経もめっちゃ楽しみ!! 顔がきれいなだけでなく、無邪気さと奔放さが同居しているのが魅力だ。そして顔がきれいだ(と繰り返す)。子ども時代の整くんとそっくりなのもいい。どこから連れて来たの? と思ってしまう。

③ミステリアスな登場人物。最近の回ではライカ門脇麦)がそそられる。この不思議な少女が画面に登場するだけで胸が騒ぐのだ。マルクス・アウレリウスの『自省録』を使って整くんと暗号でやりとりするのも素敵。しかしその暗号を繰り出す速さには驚く。ライカは『自省録』を完全に暗記して、何ページの何行目にどういう言葉があるか、即引き出すことができるのだ。その美しさにも、もちろん惹きつけられる。

④ミステリアスでない刑事さんたち。風呂光さんがめっちゃ好き。最初の自信のない失敗ばかりのようすからだんだんと仕事に向き合う姿勢が変わってくる。だんだんと整くんに惹かれていくところも可愛くていい。この人がものを考えるときの困ったような表情がいじらしくて好きだ。尾上松也さんのファンなので、池本刑事ももちろん良い。また、「あすなろ白書」のときから目をつけて(?)いる筒井道隆さんもいい。若いときに青砥さんみたいな上司がいたら、毎日キュンキュンしながら出勤できたでしょう。

 ほんとに、このドラマの魅力は一晩中でも語れそうだ。

田村美葉『できるだけがんばらないひとりたび』 KADOKAWA

副題は「ひとり旅する前に知っておきたい51の心得」

この題名と副題はイマイチだと思う。「がんばらない」がいかにもという感じだし、副題の「心得」という言葉があまり好きじゃない。上から目線を感じる。

でも本の内容はぜんぜんそうじゃない。「旅」の楽しさに満ちた本だ。タイトルの付け方、むつかしいなと思う。

 この本を読んで「スパイラルエスカレーター」という言葉を初めて知った。著者の旅の「IT」がこれだ。自分のテーマを持って世界を回るというの、すてきだと思う。

 「観光」の旅はどんなにいろいろ回っても変わり映えしない。何カ国も旅して山ほど写真を撮っても、最終的には何も残らない。自分が写っているのにいったいどこの写真なのか分からなくなってしまったり、する。でもそれでも行かないよりましだ。ほんとにほんとにお出かけしたいと思う。今はしかたないから代わりに旅の本を読むのだ。

 「自分へのおみやげはいつもの日用品や食料品にする」「いつもの服を着る」「3食きっちり食べなくてもよい」「飲みなれたペットボトルを持ち歩く」など、いろいろ役に立ちそうなことが書かれているが、著者の「自分が自分らしく旅するためのルール」は3つ。

①ふだんしていることをする。

 旅、特に「ひとり旅」に出るというと「今までしたことがない特別なことをしよう」とか「みんなに自慢できるような体験をしよう」と気負いがちだ。また後で「なんであそこを見なかったの?」「なんでコレを食べなかったの」とか言われると悔しい思いになったり。ほんとに著者が書いているとおりだ。でも旅に出ることそのものが特別なことで、ふだんとは違う場所へ行くだけで十分なのだから、特に変わったことをしようと無理をする必要はないと書かれている。これ、失敗しないコツだと思う。今の「旅」はハレではなくケなのだと思う。

②損得を気にし過ぎない。

 せっかく遠くまで来たのだからと欲張るとろくなことがない。また、「最安値での購入」を自慢しがちなのも「あるある」だ。船の旅をしたとき寄港地を去った夜は「何をいくらで買ったか」の確認が行われ、嫌でたまらなかった。なぜか最安値で買った人がマウントを取るのだ。でも正直に言うと、いちばんよく使ってる言葉は「でぃすかうんと?」だ。

③自分の力を過信しない。

 これはほんとにだいじだと思う。

 ①~③を通じて、著者の考え方の基本は旅が非日常であるからこそ自分まで「非自分に」なっちゃいけないということだと思う。「普段の自分ができないことが旅先で出来るわけがない」「旅先で『新しい自分』をさがそうとしない」と書かれている。著者が提案しているのは「日常を暮らすような旅」だ。

 こういう旅が私もしたい。すぐさまお出かけしたくなる、そういう本だ。

 

テレビドラマ『スーツ』

2011年から始まったアメリカのテレビドラマ「スーツ」。日本版もフジテレビで放送され、月曜の夜を楽しませてくれた。

天才的な頭脳の持ち主だが弁護士資格を持たないマイクが、ハーヴィー・スペクターに見出されて「ピアソン・ハードマン法律事務所」に弁護士として就職。ハーバード卒と学歴も偽っている。ハーヴィーはすべて承知の上でマイクを自分のアシスタントにした。

弱肉強食の世界。ハーヴィーも実績を伸ばすために日々戦っている。マイクはハーヴィーに鍛えられ、守られ、機会を与えられて、しだいに一人前の弁護士として成長していく。同時にハーヴィーも相棒のマイクとの交流の中で人間らしい温かさを示すことができるようになる。

登場人物で好きなのは、ハーヴィーの秘書ドナと敵役のルイス、そして優秀なパラリーガルでありマイクと愛し合うようになるレイチェル・ゼインだ。

めっちゃきれいなレイチェルはメーガン・マークル。美人で野心もあるし、正義感も人間味も持ち合わせている。金持ちの娘であるにもかかわらず自立したいと望んでいる。父親に認めてもらいたいという思いからハーバードのロースクールを目指すが、何度も失敗している。そういう役の設定も好きだし、メーガン演じるレイチェルの表情、身のこなし等、好きすぎる。王子を射止めて当然の美しさだ。イギリス王室、彼女を失うなんて!

しかしこのドラマにはひとりも「良い人」が出てこない。「手段を択ばない」がモットーの人たちばかりなのだ。みんなが魅かれるのは「闘っている人たち」だからだと思う。頭が良く才能もあり口八丁手八丁の人間たちがしのぎを削っているのだ。誰一人として油断しないし、手を抜かない。これが社会の現実なのか。見たことの無い世界だが、おもしろい。

ハーヴィーも始めはスーパーマンのような水際立った仕事ぶりだったが、実際は次々と苦境が襲い掛かる。しかし「銃を突きつけられたとしてもその対応は140通りある」と言い、どんなピンチにも諦めない。

3シーズンまでノンストップで毎日観てしまった。今ちょっと疲れているので、一休みだ。実はマイクの偽装人生が苦しすぎて、もう見るのを止めようかとさえ思ったのだが、先の話をググってみるとやっぱり見ないわけにはいかない波乱と怒涛の展開のようだ。「どうなったか」ではなく「どのようにして?」が気になるドラマだ。