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相続の成功って

「遺言状を書いておく」など相続の方策について、ヤフーニュースを見ているといろいろな事例が載っている。専門家の意見、アドバイスがいろいろあるが、どうかなと思うものも多い。

私が相続を考えるとすれば、まず親の金を当てにしないでもいいようになっていてほしい。そして子供たちに末永く仲良くしてほしい。介護をしたかどうかなどの差額を反映させるとしても、相続者みながなるべく納得して遺恨が残らないようにしたい。

だがそういう考え方はあまり見られない。

「この子に残したい」という親の考え通りに出来たらそれが相続の成功とみなされていることが多いように思う。

親に対する貢献度で差をつけたい気持ちはわかるが、そんなに判然としている場合ばかりではないだろう。というか、「役に立つ子は可愛い」「役に立たない子は可愛くない」のが親なのか?

ある事例では親が、面倒を見てくれた子の家族4人全員を養子にして、面倒を見てくれなかった子には本来もらえる遺留分よりまだ少なく遺産を渡したとある。遺言者の希望通りになったと、成功例として書かれていたが、そこまでされて、少なくなった子の気分は相当悪いだろうと思う。兄弟絶縁になってしまうかもわからないとさえ、私は思ってしまう。

平等ということはあり得ないのかもしれないが、それでも自分が死んだあと仲たがいさせたくない、子供を苦しめたくないと思わないのだろうか。

たとえば遺言がちゃんとできてますからその通りにします、兄弟のA氏がほとんどを相続しますとなれば従うしかないが、気持ちの問題は別だろう。親に差をつけられた悲しさ、悔しさを抱いてその後の人生を生きる惨めを思うと、遺言がちゃんとしてるから解決とは思えないのだが。その悔しさが兄弟への憎しみに変わるかもわからない。

親というものは勝手なものだ。そして兄弟は初めて出会う敵なのかもわからない。遺産争いになる以前に親の愛を奪い合ったりする。

聖書の放蕩息子の話。私は兄がかわいそうでたまらない。旅に出てほっつき歩いていた弟が帰ってきたのを歓迎してやるのはいい。でも、兄が「傍にいて死ぬほど働いてきた私には何もなしで、遊び歩いていた弟だけを歓待するのですか」と言った気持ちを考えると涙が出る。兄にも報いてやるべき。兄を立ててあげるべき。そうすれば兄だって余裕で、「弟良く帰ってきた、これでお父さんもうれしいでしょう、俺もうれしいよ」となるのでは。

兄の労は置いといて弟を歓待、あまつさえ兄を叱って、どういうつもりだろう。兄弟不和の種を蒔くようなものではないのか。このお父さん、あまり賢くないと思う。

それで思うのは朝ドラ「エール」の兄弟だ。音楽家になって自分の夢を叶えた兄と家業を継いで家のために働きぬいた弟。成功して帰ってきた兄に、父は弟に全財産を継がせてやってくれと頼み、兄は快く了承した。それを知った弟の気持も解け、兄弟の長年の不和は解消したのだ。

兄弟の気持が通じ合ったことこそが財産だと思う。こういう家族なら、みな、運も良くなり栄えるのではないだろうか。

そこそこの金を「自分の方が多く」もらったと満足し、よりもらえなかった兄弟へ勝ち誇るというようなことでその後の人生に花開くとは思えない。

相続の「成功」って、遺言をきちんと書くとかもめて訴訟になったりしないとかいうことでなく、生前からみな仲良くし、コミュニケーションを大切にし合うということなのではないだろうか。まったく平等にというは無理かもしれないが、納得はできるという形になること、どの子も親からもらう金のために目の色を変えたりしないことが成功なのではないだろうか。