トマト丸 北へ!

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「ファーストラブ」ー男前な3人が少女の闇を開く

監督 堤幸彦

脚本 浅野妙子

原作 島本理生

 

父を殺したと自首した少女、聖山環菜(芳根京子)は心に深い闇を抱えていた。公認心理士の真壁由紀(北川景子)と弁護士庵野迦葉(中村倫也)は、一転二転する環菜の供述に振り回されながらも彼女の心の声を聴くことを諦めず、真実を引き出そうと働きかけを続ける。

由紀も迦葉も子供時代に心に傷を負っており、環菜に向き合うことは自分たちを癒すことでもあった。環菜は心の奥に閉じ込められていた幼い二人自身でもあったのだ。その二人を見守り、愛を注ぐ存在が由紀の夫であり迦葉の血のつながらない兄である写真家の真壁我聞(窪塚洋介)だった。

我聞兄弟が父母と共に撮った家族写真のエピソードが切なくあたたかい。「笑わない」弟を笑顔にさせて撮った1枚の写真が、我聞の写真家としての原点なのかもしれない。

我聞、やさしく懐が広く、非現実的なくらい男前。彼一人の存在が世界を温める。窪塚洋介なら、ありそうと思わせてくれる。

北川景子って、いい。「家売る女」の北川景子が好きだったけれど、シリアスな演技も心に響くものだ。少女時代には対処することができず無理に意識に上らないように抑圧してきた記憶にたじろぎながらも、一歩も退かず心理士としての仕事に立ち向かう由紀は男前ですてき。

そして中村倫也の迦葉が魅力的過ぎて、もしや由紀が義理の弟と道ならぬ関係に? と心配してしまった。そんなことになったら、ストーリーがだいなしである。この人、いい男過ぎる。

「自分の話を聴いてくれる人がいた」ことで環菜は救われる。

池田晶子さんの「わからないものをわかろうとすることは愛だ」ということばを思い出した。わからないもの異質だと感じられるものを排除するのではなく、わかろうとすることが愛なのだ。わかろうとしない人には通じない。始めから拒否しているのだから。

環菜の場合は「なぜ父を殺したのか私にはわかりませんから、あなたたちが理由を見つけてください」ということばが独り歩きして、彼女のイメージを大きくゆがめて行った。こんな風にして誤解され、糾弾されることが多いような気がする。殊に多勢に無勢だったり、弱い立場だったりすると勝手に色を付けられてしまう。日常生活の中でも、こういう理不尽は多い。余裕のない人々がなんとか自分たちのアイデンティティを守ろうとして弱者を血祭りにあげる理不尽。

この物語は我聞のやさしさが魔法の杖となって間接的に環菜が救われる。ちょっとしたおとぎ話だ。でも、確実に誰かの心の中に存在した物語だということが、観る者をあたためる。

ちょっとしたことなのだ。自分が愛を持てるかどうか、小さな決断だ。男前になろう。