トマト丸 北へ!

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自分だけの山を見つける

ジョン・キム著の『媚びない人生』(PHP文庫)を読んでいる。まだ読み途中なのだが、「自分だけの山を見つける」というページから色々なことを考えた。

「過去にみんなで競う高い山登りに成功体験」があるエリートは、ある意味不幸だと著者は言う。社会に出たら「人生における山をいかに自分で見つけられるか、というところから勝負は始まると私は考えている。」「誰も登ったことのない山を見つけ、登ることこそが今は求められているし、挑戦しがいのある山なのだ。」

ほんとにそうだと思う。しかし今の日本の現状は逆で、東大出の人や東大生がエリートとしてもてはやされる気がする。自分の学歴や職業ならまだしも夫や子供のそれでマウンティングしようとする人さえいる。この日本に山は数個しかなくて、そこに登る競争に敗れたら「負け組」だと決めつける。

ほんとに嫌だ。それがほんとうなら、エリートだけが幸せになれるということになってしまう。「小学4年で人生が決まる」というような題名の本があったけれど、そういう固定した格差社会ではみんなが楽しく生きることなんかできない。大人になれば諦める習慣に慣れても、十代で負け組と決まってしまっては、なお真面目に生きる気などしないのではないか。社会不安を煽るような考え方だと思う。

この本の著者の志ある提言とはだいぶずれてしまったが、私はほとんどの人が幸せでありうる世界であってほしい。まず自分が幸せでいたい。エリートだったりエリートの夫を持たなければ不幸、東大など有名大学へ子供を入れなければ子育ては失敗、美人でなければ価値が低い、若くなければ女じゃない、など私を不幸にするような考えはすべて却下である。

諦めではなくて、人に決められた山を無理くり登らされたあげく、遅いとか落伍者だとレッテルを貼られるなどごめんだと思うのだ。

正直、いまだ「自分の山」を見つけていない。タイムリミットかも知れない。見つけたとしても登る体力が残っているかどうか。

それなら他人の山をいたずらに見上げるより、のんびりと自分の道を楽しんで歩きたい。山なんか登らなくてもいいし。

と、今日はこんなことを考えた。でもこの『媚びない人生』という本は面白そうなので最後まで読むつもりだ。

 

媚びない人生

媚びない人生