今日は2本見た。
最初は俳句の発想のしかたについて
①キーワードを見つける
②キーワードから連想する単語を書き出す
自分で数を決める。3つとか5つとか自分のペースでいいらしい。
季語は入れない。季語は後で入れる。
③連想した語を好きな方向へ伸ばしていく
場所、人物、天気、などなど。
①~③を一枚の紙に書き出す。
第三キーワードまで行くと類想から脱しやすくなるそうだ。夏井先生がよく言われていることだが、「ささやかなオリジナリティ」を盛り込むということだと思う。
私はやはり、①の段階で止まってたな。
それもこれも締め切り間際にならないと着手しないせいだ。時間がないので、一個見つけるとそれに飛びついて作って投句する。最初の一語で止まっていた。ぎりぎりの時間なのでじっくりと眺めて推敲するヒマなどない。点が入ればラッキー。入らなければ落ち込む。まるでギャンブルだったかも。
「発想は『飛ばす』のではなく、つなぎながらたどって行くもの」(夏井先生)。そうなのか! と目から鱗である。
「飛ばす」となると特別な才能を必要とする気がするが、「つなぐ」「たどって行く」なら凡人にも工夫の余地があるかもしれないと思う。
二本目は視聴者からの投稿の紹介
これが面白かった!
さまざまな人が思い思いに俳句を楽しんでいる感じがとてもいい。
数名で勝手に俳句集団を立ち上げたという投稿が楽しかった。たしか名前に「持続可能な」という言葉が入っていた。おもしろいし、だいじなことだと思う。そうなのだが、この集団は立ち上げても別になんの活動もしない。今までどおり俳句を作り続けるだけ。そこがいいね! といつき先生も言っておられた。
俳句が作れなくなり、句会へ行くのも腰が引けて来たという投稿もあった。
俳句を作る人の成長。キラキラ期➡イヤイヤ期➡オレオレ期 だそうだ。
私にもあったな、キラキラ期、と思う。なつかしい。楽しくて仕方がなかった。ポンチ村上さんの名言(俳句を始めたことで)「世界に色がついた」、すごくよくわかる。
イヤイヤ期は、私の場合自分でそうなったのではなかった。周りの人がマウントを取ってきたり、無理やり競争の場に引きずり出されるようなこともあった。無邪気に楽しんでいたのに。今思えば自分に合わない場所にいたのだと思う。
だがいちばんの原因は努力の仕方が分からず、行き当たりばったりに作っていたため進歩がなかったことだ。そのころは好きな俳人もいなかった。惰性で作っていた時期。
今は句会を離れてひとりで作っているので平和だ。「オレオレ期」はまだ来ない。来そうな感じもない。もしかすると「オレオレ」は若さの特権なのかもしれない。
でも、夏井先生も家藤正人さんも、キラキラしたり、鼻をへし折られたりを乗り越えて来られたと聞いて気持ちがなごんだ。山の高さは違うけれど、「みんな通る道」というのはあるのだろう。