眠り病にかかった母を取り戻すために吹上町へ帰ったこだち。双子の姉のミミは、行方不明となったこだちを探して数年ぶりの故郷へ赴いた。
どんなファンタジーも細部には現実感があるが、この小説は細部にこそアブノーマルが宿っている。不思議な小説だ。
「王国」の雫石には感情移入できるが、こだちにもミミにも感情移入はできない。この小説の登場人物はみな異物として存在し、異物として読む者の心に住み着くのだ。
心に残った一文。ミミがこれまでの自分を振り返って語る、
「全身で小さく縮んでひたすらに時を止めていた」
私はこの本を読んで、自分がこの文の通りだったことを悟った。
「風のような動きを失った私の精神は、いつのまにかそこまで死にかけていたのだ」
ミミは父の死と母が意識を失うという悲劇によって。私は自分を否定し続けてきたことによって、そうなった。
「なにをやっていたんだろう、私は」と私もまた思う。
「世界はこんなにもそのままで目の前にあったのに。そしてあらゆる扉がずっとそこに並んでいたのに」(P194)
「私は私を発揮しよう。私の愛を花束にして、私もまたあちこちにそっと置いてこようと思う」(P238)
こういう世界でしか生きられない、こうあるしかない自分を生きよう。「こんなすてきなことがまだまだ味わえる」世界を。
世間の人々の多くが別の価値観を追っていることは分かっている。小さな気づきや目覚めに冷水を浴びせて得意になる人々の多いことも知っている。
けれども、ひとりが自分らしく生き直すことは意味の無いことではない。
「たったひとり、母が目覚めたということで、どんなに世界に光が差したか」とも書かれている。