トマト丸 北へ!

本と映画、日々の雑感、そしてすべての気の弱い人たちへのエールを

『死は存在しない』(田坂広志著)を読んでわが意を得たり 何かがある!

昔から不審に思っていた。

人の中には心と呼ばれるものが実際にあるような気がする。

人だけではない。動物や昆虫や植物からも、何かを感じる。

視線を感じる。そのとき直接には何にも触れていないにもかかわらず、何か温かいものを感じたり、敵意を感じたりする。

自動車に乗っているときだって、追い越そうとしている気配はわかる。

蚊だって、刺そうとしてるなと感じる。

触らなくても。

ある夜玄関に居た大きなコオロギはひるまずに私と対峙していた。

そこに「何か」があるようにずっと感じていた。

これって、今の科学で説明できる?

その答えが「最先端量子科学」である可能性があるらしい。

この本は、科学にも宗教にも疑問を感じる著者が「死」という概念を分かりやすく説明した、仮説ではあるが説得力のある一篇だ。

 

ゼロ・ポイント・フィールド

この世界に「物質」は存在しない。すべては「波動」である。

般若心経の内容かと思われそうなこの仮説は最先端の量子科学の考え方だそうだ。

なぜ現代の最先端科学と大昔の叡智が酷似しているのかということが、この仮説の証明でもある。

ゼロ・ポイント・フィールドと呼ばれる場所には過去・現在・未来のすべての情報が波動として詰まっているから、そこに繋がり手を入れることができれば情報を共有できるということなのだ。

それで思い出すのは大学受験前夜の思い出。第一志望の大学に受かるものと思い込んでいた(おめでたい)私はまさかの結果に愕然としていた。頭の芯が冷たく凍っている。私は第一志望の試験に必要の無い化学にまったく手をつけていなかったのだ。

硫酸の化学式すら頭に入っていないというのに、明日は化学の試験があるのだ。

私は化学の教科書をぱっと開いて、そのページだけを理解し、覚え込んだ。それは「周期表」だった。そしてそれがばっちり次の日の試験に出たのだ。

その何十年か後、今度は私の息子が凍り付いていた。次々と試験に落ちて明日は最後の大学なのだ。

私は国語の参考書をパッと開いて「このページだけ覚えなさい」と彼に告げた。それは文学史の一ページだった。次の日それがばっちりと試験に出て息子は見事(?)合格した。

時々こんなことがある。

こんな現象もゼロ・ポイント・フィールド仮説に当てはめると納得できる。私は(たまに)「そこへ行ける」のだと思う。たぶん私以外の人もそうなのだろう。「虫の知らせ」とか。

で、その考え方によれば「死」は無い。

 

P312  もし、あなたが「私とは、この壮大で深遠な宇宙の背後にある、この宇宙意識そのものに他ならない」ことに気がついたならば、『死』は存在しない。

 なぜなら、この現実世界を生き、「肉体」に拘束され、「自意識」に拘束された「個別意識としての私」は、この「宇宙意識」が138億年の旅路の中で見ている「一瞬の夢」に他ならないからである。

死は「目覚め」なのかもしれない。

この本はずっと心の隅にくすぶっていた「科学も宗教も、どちらも、なんか違うんじゃないか」という疑問に答えてくれる本だった。

p326 この「宇宙意識」は、その夢を通じて、我々の人生を通じて大切な何かを学び成長していこうとしている。

p338 いま最も求められているのは、「人類全体の意識の変容」であり、「人々の価値感の転換」であろう。

本の内容すべてをすっきりと理解できているわけではないが、共感する。

思うのは、この私という「乗り物」を大切にしてこの人生を味わい尽くすこと。私たちは、常に拡散し常に収束している無数の小さな貝の舟の一つだ。