トマト丸 北へ!

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読書の秋はやっぱり宮部みゆき

今週のお題「読書の秋」

まだまだあるとは言っても読みつくしてしまうと楽しみがなくなるので、わざと間隔を置いて読んでいる宮部みゆきの本。禁断症状が出て来たのでついに手に取る。

『この世の春』上・中・下(新潮文庫

時代物のミステリー仕立てという著者得意のジャンルを思い切り書き切っている。多重人格、虐待、マインドコントロール。現代的な題材が時空を飛び越えた場所で炸裂。この本を手に取った者は、がんがん引き込まれて読むことになる。

ワタクシが好きなのは田島半十郎。直情径行で裏表がなく信義と忠義に堅く、剣を良くする。いとこ同士でなければ多紀と結ばれてほしいところだ。

元家老の石野織部もいい。北見藩を守り、主君を守ることに命を懸けながら、無辜の民の犠牲に目をつぶることも潔しとしない。栄達や蓄財ではなく自分の義を貫くことが彼の人生なのだ。これって、サラリーマンの理想の生き方でもあると思う。

会社のために働きながらも自分自身を見失わず、自分の時間を生きる。この話はもちろんフィクションだが、古今東西変わらない、生き方の理想だ。自分自身を売り渡してしまっては、たとえ出世しようとも空しい人生なのではないだろうか。

織部は「根切り」にされた一族や、犠牲となった幼い少年たちや、精神を病む若君を見捨てず、命を削ってまで戦う。苦難の道を選んだわけだが、哀れな者たちを見捨てて悲劇をなかったことにしてしまわなかったことにより、彼は誰よりも自分自身を生きることを得たのではないだろうか。

何かを失うまいとして逃げ続ける人生は、結局は自分自身という掛けがえのないものを見失ってしまうことになるのではないか。表面の安寧を得たとしても、空しいのではないか。

ヒロインの各務多紀もすてきだ。気の強さと言うか、ぐずぐず顧慮しない、理の勝った性格の中に深い情がある。織部には葛藤があるが、多紀にはない。ことさらに確立しようとしなくても、多紀の中には明るい自己肯定がある。それが姑の暴力から自分自身を救い出し、後には北見重興が精神の自立を成し遂げる手助けをすることにもなるのだ。

隠居して作事の記録をまとめるライフワークにいそしんでいる元作事方組頭の父の家で、出戻りの多紀は暮らしていた。ある夜幼い赤子を抱いたひとりの女が助けを求めてこの家を訪れる。一晩を泊めて翌日寺へと二人を逃がす父。赤子は成り上り者の側用人伊東成孝の一子であった。成孝は彼を寵愛していた若君重興が隠居させられたことにより失脚したのだ。

北見藩は急逝した大殿に代わって藩主となっていた若君重興を「押し込め」、親戚の若君を主君として据えた。そして重興が重用していた伊東一派を追い落としたのである。

輝くような美貌と英邁さを兼ね備えた若君はなぜ押し込められなければならなかったのか。そこには恐ろしい秘密が隠されていた。

この謎解きがするすると果てない糸を繰るように展開していき、息をするのも忘れるくらい面白いのである。上・中・下三巻あるので一週間もたせようと思ったのだが、我慢できず三日で読んでしまった。

一つ一つの描写、語り口が生き生きと読者の心をつかむ。二巻の半十郎と五郎助の死闘の場面はちょっと忘れがたい。